芭蕉 曽良奥の細道折り返しの地
『三代の栄耀一睡の中にして・・・・』と平泉の項を書き始めた
下 岩手4大戦役の記念碑 ここ平泉は田村麻呂とアテルイの延暦の大戦争・源氏と安倍氏の前9年の役・義家清衡連合と清原氏の後3年の役・頼朝の平泉奥州征伐を岩手の4大戦役と呼ばれる重要な地なのだ

 高舘の北側古戦場の衣川跡 弁慶立往生跡 平泉文化史館の2階ベランダからの戦場跡
 この周りが義経のな著名な忠臣が討死した所で松を植えて戦闘の臨場感出している 曽良の句(卯の花に 兼房みゆる 白髪かな)にある白髪の増尾十郎兼房 片岡八郎弘経 亀井六郎重清 そして武蔵坊弁慶が立ち往生したまま死んだ場所などがあるが余り人の気配はない 観光客のお目当ては殆どが金色堂・中尊寺なのだ
下 武蔵坊弁慶立往生旧跡碑  彼の強さから出生は母の胎内3年もいて生まれた時には髪の毛は肩ほどまで伸びていて前歯・奥歯も生えていたと言う 彼は熊野別当湛増が二位の大納言の娘を強姦して産ませたと言われる伝説がある
 
武蔵坊弁慶の大墓碑  月見坂入り口 
色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊
素鳥  
の句が添えられている
 
義経従臣亀井六郎重清戦死の跡 一説によると頼朝を取り上げた乳母は彼の母だったという 説もあるが真に皮肉な結果となってしまた
束稲山 
其の4



 

   
義経従臣片岡八郎弘経戦死の跡 
弁慶同様剛の者だったようだ
  義経従臣増尾十郎兼房戦死の跡