陸奥の 野田のすがごも かたしきて 仮寝さびしく 十府の浦風     夫木和歌抄  道因
          陸奥の 十符の菅菰 七符には 君を寝させて 三符にわが寝む     袖中抄 藤原顕昭            
 
野田の玉川の数キロ北に十府が浦なる所がる。十府が浦の名勝の地は陸奥にはここ以外に宮城県多賀城市と青森県野辺地にもあるのです。外にも末の松山が宮城県と岩手県に野田の玉川は宮城県・福島県・東京・大阪・滋賀・和歌山等多数あります。この様に風光明媚な日本には各地に同名の歌名所があるのです。又歌名所のある事がお国自慢でもあったのでしょう。所でこの『十府(とふ)』の意味なのですが大言海によると『十編・・・編ミ目ヲ十筋ニ編タルコト 又ソノモノコト』とあり上の顕昭の歌と散木奇歌集の
   嵐のみ 絶えぬみ山に 住む民は いくへかしける 十編の菅薦
とが載っていた。更に十編の菅薦とは『編み目が十筋ある菅の薦こと  陸奥の菅は他国の物より長くて薦を十筋まで編むばかり幅の広き名物にて名高きなり 菅にて編んだ薦 古陸奥の産として名あり 今陸前宮城郡利府村字加瀬より出す 山野自生の菰を晒して水に浸し綿布にて拭い絹糸、綿糸を緯(すき)として大小・方形十段に編む』とあるのです。勿論薦は『ござ』のことでしょう。幅の広い御座は都でも評判がよく地方特産物の税(調)としても納められたらしい。『菅の字は茅(かや)なるを誤用す。草の名、形状、総て茅に似て、滑らかにて毛なし、葉の広きものを笠とし狭きを蓑(みの)とす 因りて蓑菅、笠菅の称あり』とある。つまり十府とは茅の事なのです。宮城県に宮城郡利府町がある。その町に十府の池・十府の谷がるが今や埋め立てられてその面影は無いが利府は「とふ」から来てるのです。利は利根川の『と』と呼ばれるからです。「ふ」は「府」・「符」・「編」のどれ正式なのか私に分かりませんがいづれにしろ陸奥は茅が生い茂る所だったのでしょう。『真野の萱(かや)原』の歌枕の地が宮城県と福島県の2ヶ所もあるのもそのせいかも知れません。現代と違い自然の素材が総ての時代、茅は大切な資源だった様です。この野田の海岸線にも多くの茅が自生していたのかもしれないが、今日紫色の小豆砂が緩やかな弧を描く3,5kmの海岸線は、紺碧の太平洋と美しい調和を奏で昭和46年陸中海岸国立公園に追加指定された。(平成18年10月10日)(参考 大言海 富山房 郷土資料辞典)
右 久慈市名誉市民三船久藏十段の像 三船十段記念館前  久慈市川貫 

 久慈市出身の三船久蔵記念館の像 彼の空気投げは有名 久慈名誉市民第一号である
  旧小本街道は海産物を盛岡に運ぶ重要な輸送路→道が険しいため牛の背に積まれて運搬  国道455号線の脇を通る旧街道
旧小本街道
 現国道455号線の牛追いの道
                  十府が浦