十符が浦は又塩の浦
 昭和20年頃にはここに130余りの直煮製塩の塩釜があったと云う 米一升5円の時塩一升は35円 内陸盛岡に行けば塩2斗が米2斗と現金350円にもなったという 野田の塩はヤマセの野田にとり命の支えだったと言う
 紫色の小豆砂(あずきすな)におおわれゆるやかな弧を描いて続く海岸線 切り立った断崖が続く三陸海岸では珍しく貴重な砂浜です

陸中海岸国立公園 十符ヶ浦の碑  九戸郡野田村

みちのくの 野田の菅にも かたしきて 仮寝さびしき 十符の浦風
夫木和歌集 長明



十府が浦 其の2    

野田塩ベコの道由来板
 豊富な森林と蹉跌は塩田法ではなく直径360cm高さ15cmの鉄釜による直煮製塩法により小人数でも大量の製塩が出来た
  道因と顕昭の歌碑  
十府の浦野田ベコ塩の道の起点の地でもある
 
南部牛方節(南部牛追い唄) 
江戸時代野田の塩は北上山脈を越え盛岡・雫石・鹿角地方まで運ばれ米や生活必需品と交換された  
険しい100kmの道のりを越えるときに歌われたのが南部牛追い唄である