上 ハワイ王国公使別邸         市指定史蹟
この建物はハワイ州が独立国だった当時(明治31年)1898まで)の駐日公使ロバート・ウォーカーアルウィンが所有し別邸として使用していた
 
湯元飲泉所横万葉歌碑
上つ毛野 伊香保の沼に 植え子水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ 巻14-3415
訳 伊香保の沼に植えた子水葱の成長がこんなにも待ち遠しくてたまらないものならいっそのこと水葱など植えるのではなかった という心かけて 今の苦しみのもとになっている恋焦がれ種など初めから求めるのではなかった 何と苦しいい事だろう(説明板)
 上左端 湯元飲泉所近くにある湯元呑湯道標 
明治時代ドイツ人医師ベルツ博士の指導により飲泉療法が盛んになり呑湯所も設置された この道標は浴客にとり不案内な土地での道案内に建てられた 呑湯という土地内のの一か所を指示する道標は全国でも珍しい 正面に  右 榛名山 二つ嶽道 左 湯元 呑湯道 右側面 明治23年5月28日 高崎相生町 粕川龍蔵(説明板)

左 伊香保口止番所 高崎から渋川・金井・北牧・中山を経て越後に至る道を三国往還と称し杢が橋関所が設けられた 吾妻川が増水して川止めの時は渋川から伊香保を経て東村・中之条を通り中山宿まで続くこの道を三国街道裏往還と詠んだ その要所として寛永8年幕命により伊香保村口止め番所が設けられた
上右端 万葉歌碑    巻14-3422
伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾が恋のみし 時なかりけり
訳 伊香保の風は吹く日も吹かぬ日もあるけれど貴女への私の恋心は四六時中絶えることはありません
右 不如帰駅 伊香保ロープエイの伊香保駅は流石徳富蘆花縁の地だけに駅名も不如帰駅であった

       伊香保の御湯 V