200段目を中心に上に3段下に7段の間の石段には与謝野晶子が温泉の感想の詩が彫られていた 与謝野晶子の詩  伊香保の街より
榛名山の一角に、段また段をなして 羅馬時代の野外劇場の如く
斜めに刻み附けられた、桟敷形の伊香保の街、屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である。そして榛の若葉の光が、柔かい緑で、街全體を濡してゐる。
街を縦に貫く本道は、 雑多の店に縁どられて、長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、H
の字を無数に積み上げて、 殊更に建築家と絵師とを喜ばせ
下中 石段の365最上段の伊香保神社からは石段街を見下ろした 早朝6時なので人っ子一人いない 又神社からは南に榛名山北東には越後の連山が眺望されるが今日は生憎湿度が高く梅雨明け宣言されたが全く見えなかった 伊香保神社開基は頗る古く第11代垂仁天皇(前29−70)に遡る凡そ2000年前という 第54代仁明天皇承和2年(835)に延喜式名神大社となる
 
温泉番付と言うのがあるがある 東の大関は草津温泉・西の大関は有馬温泉だが関脇が東伊香保温泉・西城崎温泉が常連という 恋の病以外はすべてに効く草津の湯は別格として有馬・道後に勝るとも劣らない古典的温泉の雄であり名湯中の名湯である(榛名・伊香保文学紀行)

下中 我国温泉都市計画第一号の碑
 伊香保温泉石段街この石段街の原型は織田信長が天下統一をめざし長篠の合戦で武田勝頼破った翌年天正4年(1567)に時代から形成され始めた それが異色の石段温泉街となった  とある 

 伊香保の御湯 U

 
 伊香保神社本殿 上 伊香保温泉石段街365段の最上段に鎮座する境内の万葉歌碑 
   伊香保ろの 八坂の堰塞に 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば
 巻14-3414 
訳 伊香保の山裾にある八尺もある大きな水門からほとばしる水しぶきに朝日が当たって虹がはっきりと見えるようになるまでお前と一緒に寝ていられたらどんなに楽しい事だろう 是非そうしたいものだな お前(説明板)

高山彦九郎腰掛の石 境内にある