美智子妃の写真もある
正田記念館

正田本家・正田醤油の袢纏がノスタルジーを感じます
正田記念館
正田醤油
  館林市栄町 
東武伊勢崎線館林駅前は正田醤油・日清製粉発祥の地 正田家の祖先は新田義重の家臣生田隼人義豊であり天正年間徳川家康に謁し新田・徳川の郷土に関する旧記由緒を上申し知行を受け命により正田と改姓した 代々現在の新田郡世良田(現太田市世良田)に居住していた 正田六三郎(1682年没)が館林に移って商人なったのが館林正田のはじまりである 明治6年(1873)三代正田文右衛門は醤油の醸造を始め爾来110有余年今日に及んでおります この建物は2代正田文右衛門が嘉永6年(1857)に店舗として建てたものであり大正6年(1917)正田醤油叶ン立後は昭和61年(1986)迄その本社として使用されておりました(館内説明文)
 江戸時代から続く米穀商「米文」ののれんを3代正田文右衛門が醤油醸造業へと改めた明治6年以来、140年という歴史を有する正田醤油も現状に甘んじることなく、とどまることなく常に時代に先行する新しい試みを重ねてきました。そのモダンの集成を展示した「正田記念館」は、嘉永6年(1853年)に建てられた風格ある木造の建物(ネット)

青龍山茂林寺山額
巌谷小波のお伽噺分福茶釜
の汲んでも汲んでもお湯が絶えない茶釜の話は館林の茂林寺の寺伝です 
上 現多々良沼が歌に詠まれた可保夜が沼というのだ    館林市と邑楽町にまたがり北は渡良瀬川南は利根川に挟まれた低湿地にあり現在は広大な公園となっている
可保夜が沼
については不詳らしい 上つ毛野といっても鶴の首の端の館林は明治以降の群馬県であり東山道からはかなり離れている 栃木県都賀辺りの沼ではないかとする考えもある 兎に角この辺は沼地が多いのだ 
 
曹洞宗茂林寺参道 館林市堀江町
湯を沸かし幾ら汲んでも尽きないという茶釜 福を分け与える分福茶釜の狸が参道両側にずらりと並ぶ 寺伝ではムジナとなっているがムジナも狸も同一らしいい