佐野田? 佐野の田んぼの事か?左裾野が山名丘陵(佐野山)


 佐野の渡し 烏川(佐野の中川)に架かる佐野の舟橋(木造)のあるところが渡しでしょう 上信電鉄の鉄橋と並行している (烏川)
右 佐野山(山名丘陵)と佐野の中川
  佐野の中川か?利根川と鏑川の間を流れる烏川中川というのか?烏川は浅間山中腹から流れ高崎市内を流れて埼玉県県境で利根川に注ぐ

        佐野山 Y               
金井沢碑の現代語訳
上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子■が(発願して)祖先および父母の為に、ただ今家刀自(主婦)の立場にある他田君頬刀自、その子の加那刀自、孫の物部君午足、次の馴刀自、次の若馴刀自の合わせて六人、又既に仏の教えで結ばれた人たちである三家毛人、次の知万呂、鍛師の礒部君身麻呂の合わせて三人が、このように仏の教えによって(我が家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文である   神亀三年(726)丙寅二月二十九日
家刀自=主婦 知識=仏教の教え 鍛師=製鉄・金属加工職人 (訳は歴史と文化を考える会発行の上野三碑パンフレットより借用往古群馬の表記は 車(くるま) であったが和銅六年(712)の郡郷名は好字からなる二文字に改訂する政令により表記は群馬(くるま) に変更された 然も本碑の群馬の文字の
 羣 は在地に於ける最古の群馬の用例だそうです 山の上の碑と云い金井沢の碑と云い群馬県の山名丘陵(佐野山)近辺はまさに古代が日常的に身近に感じる魅力的な地だ