国指定特別史跡 多胡の碑 高崎市吉井町
那須の国造碑・多賀城の壺の碑とともに日本三古碑の一つ
で今から凡そ1300年前の和銅4年(711)に現在の高崎市吉井町を中心とした地に新しく多胡郡が設置されたことが刻まれている この碑文は日本の正史である続日本紀の和銅4年3月辛亥の記載に『上野国甘良(楽)郡織裳・韓級・矢田・大家・緑野武美・片岡郡等6郷を割いて別に多胡郡を置く』と一致し古代史解明に欠かすことが出来ない至宝の石碑である 続日本紀には建郡27例が記されているが碑が建立されて現存するのは今のところ多胡碑だけである
     
群馬県には東北には馴染みのない地名が多い 典型が多胡であり邑楽郡とか甘楽郡とか朝鮮半島からの渡来系の地名を連想されます 殊に多胡の多=多いであり胡=中国ではペルシャ人であり異民族・外国人を意味する つまり異国の人が多い所を意味しているようなちめいである 現在多胡は高崎市吉井町辺りであり烏川から鏑川を挟んだ東部の高山・牛伏山・城山の丘陵地帯までの様である この多胡に金井沢の碑・山上の碑・多胡の碑と上野3古碑の歴史的古碑があるのはこの地は大和朝廷にとって重要な地だったに違いない
歴史と文化を考える会発行 上野三碑パンフレットより

巻14-3403歌碑の現代語訳       訳は共に万葉集全歌講義 (有)笠間書院
  私の恋は今の今も切なく悲しい そして多胡の入野の奥の奥ではないが、先々の将来までもやはり切なく悲しい
巻14-3411歌碑の現代語訳
多胡の嶺に綱を掛けて引き寄せようとするが 悔しいが彼女も同様寄っても来ずびくともしない 美しい顔の持ち主だからかな