多胡の入野歌碑 
   巻14-3403
 
高崎市吉井町黒熊浅間神社境内

下左 多胡の入り野
大日本地名辞書(富山房)には『入野とは黒熊村の辺りなるべし 白沙にて松生い美景なり 南に高山あり 所謂多胡嶺をなす 入野とは緑埜の方より曠原を踏みて野辺なり』とある  古墳頂上から見た記述にある黒熊・緑埜方面を望む この方面が歌に詠まれた多胡の入野(下左)のようだ

 多胡の入野 Ⅱ











➡蓋シ彦狭島王尚シク、中世上野ヲ以テ親シク王ノ仁国ト為ス。当時里人此ニ到ル者、或ハ観風ノ次、山水ノ勝ヲ愛デ、感懐諷詠ス。而シテ其ノ他今何処ニ在リヤ詳ラカナラズ。或ハ曰ク黒熊村ハア土赭ク、松其ノ間ニ生ジ、南ニ高嶺有リ、景色絶景、豈殆ド此ナラザルンヤ。今茲閭里耆老相謀リ将ニ石ニ勒シ、以テ後ニ伝ヘントス。 余其ノ挙ヲ嘉シ、為ニ之ヲ記ス。
 
上左 吉田松陰の義弟で初代群馬県令県令 楫取素彦
深草す うちに埋もれし 石文の 世にめづらるる 時は来にけり
上右  陸奥出羽按察史 前中納言有長    
玉かしは 書残したる かみつけに うづもれぬ名ぞ いまもかがやく    
この2首の歌碑はは多胡碑の近くの多胡碑記念館と云う立派な資料館の隣にに立っている 多胡の碑は他の2碑とは別格扱いである
   国指定史跡白石稲荷山古墳 白石古墳群のひとつで近くに皇子塚古墳・七興山古墳がある  尚白石稲荷山古墳は全長175m・高さ13.5m・後円部幅92m・前方部羽場148mと豊富な副葬品が出土した東日本を代表する古墳である 
              
  多胡の嶺歌碑 巻14-3411 
    
高崎市吉井町馬庭飯玉神社境内
 

 多胡の入野の歌碑
巻14-3403の他に下記の2首と文言が彫られている

くずの葉を 吹く夕風に うらふれて
 多胡の入野に 鶉鳴くなり    
          
新続古今和歌集
露深き 多胡の入野の 草枕
   ぬるとも今宵 またや結ばん
         
     夫木和歌集
右三首ハ万葉 新続古今 夫木諸集ニ見ユ。 按ズルニ多胡郡ハ和銅4年ニ置ク所、国史及ビ池村碑ニ徴ス可シ。郡は入野ニ有リ、其ノ名特に著シ。➡