越の菅原T・U・Vは主に旧高田市方面でしたがここからは主に旧直江津市地域を掲載しました
 市内を流れる関川が日本海に注ぐ河口にある琴平神社は明治時代の神社明細帳には『越後国中頸城郡直江津出村町 無格社 金比羅神社』とある 其の境内にあるのが松尾芭蕉の句碑である 芭蕉は元禄2年(1689)7月6日に直江津に入り古河市佐衛門宅に逗留し其の時開いた句会で詠んだ句碑が下の2つである
  文月や 六日も常の 夜には似ず
意味は『7月7日の七夕前夜と云うものは普段の日と違い何かそわそわウキウキするね』  江戸時代にも40代後半の芭蕉も七夕は現代のクリスマスイブや大晦日の様にわくわくする気分になったようですね 文月は旧暦7月 元禄2年1689年七夕の前夜直江津の作句である 芭蕉は旧暦7月二日新潟、三日弥彦、四日出雲崎、五日鉢崎(柏崎)を経て六日に今町(直江津)を訪れ翌7日も滞在し8日から10日まで高田で過ごした 
下の句碑左は最近のもので右側はより古い歌碑である
   安寿と厨子王の供養塔(琴平神社境内)  山椒大夫 鴎外森林太郎の碑 ここは直江の浦である 日はまだ米山の後ろに隠れていて紺青のような海の上には薄いもやが掛っている 一群の客を船に載せて纜を解いている船頭がいる 船頭は山岡太夫で客はゆうべ太夫の家に泊まった主従四人の旅人である
右 安国山五智国分寺
 上越市五智1200年前の天平12年聖武天皇が全国に国家安泰と繁栄を願って建た国分寺・国分尼寺で越後国分寺である 本尊が五智如来なので五智国分寺ともいう
 越の菅原 W

       
   聴信寺 上越市中央  この寺珍しい土蔵造りである 曾良旅日記には『六日 雨晴。鉢崎ヲ昼時、黒井ヨリスグニ濱ヲ通テ、今町へ渡ス。聴信寺へ彌三状届。忌中ノ由ニテ強而不止、出。石井善次良聞テ人ヲ走ス。不帰。及再三、折節雨降出ル故、幸と帰ル。宿、古河左衛門方ヲ云付ル。夜ニ至テ各来ル。発句有。文月や 六日も常の 夜には似ず  芭蕉 とある  右 府中八幡 上越市西本町  上杉謙信の父長尾為景は春日山城の鬼門守護の霊社として社領500石を寄進したが御舘の乱で一度焼失している