高田城本丸跡地  下 高田札の辻  
 粟飴・翁飴本舗 高橋孫左衛門  寛永年間創業の粟飴翁飴本舗高田孫左衛門は江戸時代より390年以上続く日本で一番古いあめ屋さんである 日持ちの良さと独特の食感で高田藩城主や前田藩の参勤交代のお土産にも用いられ全国に広がったようだ 東海道中膝栗毛の戯作家十辺捨一九の越後道中記・金の草鞋の中にその繁盛ぶりが載っていてそのコピーもお店に置かれています 又夏目漱石の有名な小説坊ちゃんの一節にも数行取り上げられていて『・・・清が越後の笹飴と笹ぐるみむしゃむしゃ食って居る・・・』とある 私も買って食べてみたがとてもむしゃむしゃは食べられない 説明書きには「笹飴は飴玉と違い砂糖を使用していないので噛むと歯につきます上あごにつけて舐めるだけにして下さい」と書いてある 漱石は何処の笹飴を食べたのか
料亭宇喜世 国登録有形文化財  江戸時代末期にまで遡る由緒ある書院造の荘厳な建物 城下町上越高田の歴史の一端を担っている 早朝で中に入れないのが残念
左端 高田城本丸跡地 現在この地は高田公園で中に上越教育大学付属中学校がある 築城主の松平忠輝は徳川家康の6男にもかかわらず家康からは極端に嫌われていてその葬儀参加も拒否されている 改易・配流の連続で墓は信州松本貞松院である 生母茶阿局の身分の低さと容貌怪異のためとも言われている 築城開府400年祭りの真っ最中でした 
 越の菅原 V



右 親鸞聖人を宗祖とする京都真宗大谷派本願寺の高田別院である この路地の奥左に本堂がる上越市直江津は親鸞が佐渡遠流を許されて再上陸した地でもある 因みに少しややこしいが大谷派(東本願寺)はなむあみだぶつと唱え本願寺派(西本願寺)はなもあみだぶつと唱えるのだそうだ 
左 市内全域雁木通り
総延長16km
に及ぶ町中の木像雁木は日本一である 青森黒石ではこみせとも呼ばれているがスケールでは到底及ばない 雪国生活の芸術作品でた 高橋孫左衛門前の通り