男爵前島密君生誕之地の碑記念館の隣    前島密記念館    大日本スキー発祥之地 上越市高田    長岡外史中将の胸像    高田城75万石三重櫓(日本三大夜桜名所)  越の菅原 U






 明治時代の郵便配達外務員の制服を着た像 菅原神社より数Km北西の上越市下池部の県道と一般道の交差点に何と郵便の父前島密記念館がありました ここが前島密生誕の地だったのです 前島密記念館日本郵便の父前島密の生まれた上野家の屋敷跡に建てられている 前島密は幼名は上野房五郎と云い慶應2年幕臣前島家の養子となって前島と改姓した 大正9年村民有志の募金により他人に渡っていた上野家の屋敷跡を買戻しここに付近の神社鎮守三社を合祀し新たに村社建立し大正11年5月前島密翁の遺徳を讃えるために境内に生誕記念碑を建てた 又境内の隣に前島の姓を冠した前島記念池部郵便局を開設しその功績を顕彰した 現在日本郵政蒲X政資料館文館として運営されている(説明板) 展示されてる密の生涯と業績の各種資料は極めて重厚でその豊富さには感心した 然し慶應2年明治維新の2年前にコ川慶喜に提出した漢字御廃止之議の建白書は勇み足だったでしょう 中国がアヘン戦争で欧米列強の租界地となったのは難解な漢字のせいであり知識が劣った日本も漢字・漢文を廃止し仮名文字にすべきと主張したはいただけない     レルヒ中佐の像    旧陸軍第13師団長官舎 高田城徳川家康の六男松平忠輝の居城として天下普請によって造られた 城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅(政宗の五朗八姫を妻)の伊達政宗である 上越市高田(旧高田市)はかつて豪雪地帯として知られ1945年2月26日には3.77mもの大雪を記録して教科書にも日本一の豪雪地と載せられた 雪の上には『この下に高田あり』との立札が建てられた逸話も残っている  日露戦争に勝利した日本陸軍研究の為明治43年来日したオーストリア・ハンガリ−帝国軍人レヒル中佐のスキー指導を受けたのは大日本帝国陸軍の長岡外史師団長が率いる第13師団第58連隊の将校たちでした 翌44年高田市に来た 明治35年の八甲田雪中行軍遭難事件以後雪中歩行具に関心を持っていた外史はレルヒ少佐に将校を対象としたスキー技術指導の要請したのが日本スキーの始りなのです カイザー髭が素晴らしい長岡外史です 官舎入口に立っている  師団長官舎は明治43年陸軍第13師団中将長岡外史による和洋折衷の建物で平成3年まで自衛隊高田駐屯地幹部宿舎として利用された 尚外史の次の師団長で赴任したのは坂の上の雲秋山好古であ