乙子神社草庵  国上山山頂の五号庵の老朽化と朝夕の上り下りが老いの為困難になった良寛は文化13年(1816)中腹にある乙子神社脇に草庵を結びこの庵での凡そ10年間が良寛芸術のの最も円熟した時期とされている  下 乙子神社脇にある良寛の詩・句碑沙門 良寛書 生涯 身を立つるに懶く 騰々として 天眞に任す 嚢中 三升の米 爐邊 一束の薪 誰か問わん 迷悟の跡 何ぞ知らん 名利の塵 夜雨 草庵の裏 雙脚 等間の伸ぶ 朝づく日 向ひの岡に 小牡鹿たてり 神無月 時雨の雨に 濡つつ立てり
 



上左・中 夕ぐれの岡
国上山の麓県道2号と県道68号線の交差点大河津分水路のたもとに夕暮れの岡と云う史跡がる 信濃川の分水である大河津水路ができるまではこの付近には円上寺潟とか中島用水溜の湖沼があった 江戸時代の元禄のころ(1690〜)国上寺再建のため各地を奉加中の満元上人がこの堤防で湖沼の夕映えを眺めて歌を詠んだ
忘れずば 道行ふりの 手向けをば
    ここを瀬にせよ 夕ぐれの岡
それ以来ここを夕ぐれの岡と呼ようになった その100年後同じ道を托鉢していた国上山の五合庵に住む良寛は萬元上人を偲び
夕ぐれの 岡の松の木 人ならば
  昔のことを 問わましものを
夕ぐれの 岡に残れる 言の葉の
  跡なつかしや 松風ぞ吹く

と詠む 岡とは言え県道より低い
下左端 その路の脇に明治13年建てられ維新の三舟の一人とばれる高橋泥舟の筆になる道標が立っているがよく読めない
左 乙子神社(国上山中にある)