上 親不知子不知の4世代道路の説明版 矢印を上から順に説明すると右上の二つの矢印がこの崖が日本アルプスが日本海に落ち込んでる断崖絶壁 二番目の二つの矢印が北陸自動車道 第3世代の矢印が現在の幹線道路国道18号線である そして一番下の第一世代の矢印が明治16年(1883)に初めて人の力で道が開かれるまで使用されていた道(?)であり打ち寄せる大波から避難するための大懐・大穴と呼ばれた浸食された地形が今も残されている 右 ウォルターウエストン像 
日本アルプスや富士山を始め多くの山岳探検登山を行い日本の近代登山に大きく貢献した 彼は明治27年7月にここ親不知を訪れその景観に感動しその著書「日本ある御薄登山と探検」の中で一枚岩に刻まれた『如砥如矢』について紹介した この像の前を通り天下の険・矢如砥如の崖下したを通るのが第2世代道路である 彼は彫られた岸壁の方を見ている

矢如砥如  砥石のようになめらかで矢のように真っすぐだ と云う意味 第2世代道路が完成した感激で彫った物

天下之嶮
右 親不知記念広場の母子像と親不知景観絶景の地
勿論母子像は親不知子不知を意味してるのでしょう 台座の下には相馬御風の
 かくり岩に 寄せてくだくる 
  沖つ浪の ほのかに白き 
        星あかりかも

の歌が彫られている
 
親知らず 子はこの浦の 浪まくら 
  越路の磯の あわと消えゆく 
 
源平の世 平頼盛(清盛の弟)の妻が越後に移った夫に幼子を連れて会いに行く途中親不知で幼子が波にさらわれた悲しみを詠んだのに由来するという 親は子を子は親を顧みる余裕すら出来ない難所だった
    沼奈川(姫川) W