錨マークが彫られてるいかり印の墓 よく見えなかった


円福寺にある支倉常長の墓と碑文
この長閑な田舎の山農村地にスペインと韓国の方がお墓参り来たのです 昭和45年10月突然韓国の方十数人がここ支倉の地にお墓参りに来たのです 彼等は古文書で祖先が集団でこの地に移住した事が判明したのを知り其の霊を弔いに来たのだそうです いかにも儒教国家で祖先崇拝思想のお国柄のエピソードであるが歴史を垣間見るのです 
もう一つが左の写真にあるいかりの墓である 古来キリシタンの墓と噂されていたが遣欧使節従者の墓ではないかとスペインのハポンと言う姓名の一行が平成4年10月支倉常長の墓参りに来た時に説明した 以前NHKのドキュメンタリーでも放送していたがスペインにはハポン姓を名乗る集落があるというのです 実は支倉常長の従者がスペインに居残った末裔なのです ハポンは英語のジャパンの意であるが日本を姓にしていて然も自信をもって支倉遣欧使節の末裔を名乗るスペイン人がいる事は実に歴史の神秘である ここは歴史ある偉大な国際的田舎なのです            
上 いかり印の墓は遣欧使節サンファンバウチスタ号に乗船した日本人の墓という

左上
 名取り川支流の碁石川 下りなかったので文石は確認出来なかったが 近所の方も赤石なら知っていると判然としていないようだ

左中 碁石由来の一つ平な碁盤石がある所なのだがそこまでご覧のように僅か10mも雑草のため歩いていけず望遠で撮るだけであった 残念な事である
左下 仙台北目町から7つめの一里塚 出羽に向う笹谷街道 沿いにある 碁石川この塚のすぐ隣を流れる 仙台から凡そ22〜3kmぐらいだろう
柴田郡川崎町支倉字宿

碁石 其の2