韮崎山から見た四保山 原田甲斐・柴田外記の居城であった船岡城がある 白石川と荒川ここで合流している この川沿いの人目千本と言われる桜は見事で東北本線の汽車はこの期間のろのろ運をしてくれる
憚りの関 其の3 |
柴田外記夫妻の墓 船岡城志保山の東にある大光寺にある 戒名 実相院穎峰智脱居士 本名は柴田朝意と聞きなれない
右 伊東七十郎重孝辞世の碑 原田甲斐や兵部・外記等の知名度はないが伊達兵部宗勝の仙台藩乗っ取り計画を認識した伊東はその誅殺を図るも失敗斬首されたが後に仙台藩の陰謀が明らかになり兵部・甲斐一派が滅ぼされる及び伊東重孝の忠臣が認められお家復活がなされた |
伊藤七十郎重孝 辞世の歌
人心これ危 道心これ微かなり これ精これ一まことその中をとる 古語にいう身をば危すべし志をば奪うべからず 又云殺べくして恥かしめべからず 又云内に省てやましべからず 是予が志なり 食を断ツ丗三日目ニ之ヲ書ナリ
彼こそ寛文事件の発端を切った人物かもしれない |