韮崎山山頂より白石方面を望む この下に憚りの関の碑がある 遥かに歌枕不忘山が見える 国道4号バイパスを挟んで中央の小山の裾に憚りの関が有ったと言う  
原田甲斐宗輔の供養塔  船岡城址   原田甲斐と柴田外記の供養塔 共に1671年(寛文11年(1671)3月27日江戸大老酒井邸で斬死した 船岡城主原田甲斐の300回忌を期して昭和45年3月27日建立 戒名は天真院泰道玄徳居士 墓は登米市東陽寺にある 
   右 大河ドラマ樅木は残った の樅木
1970年1月4日から始まった樅木が残ったその樅ノ木が2本今も船岡城址には残っていました その前には山本周五郎氏の夫人の書による文学碑が建てられてある
  韮崎山から見た四保山  原田甲斐・柴田外記の居城であった船岡城がある 白石川と荒川ここで合流している この川沿いの人目千本と言われる桜は見事で東北本線の汽車はこの期間のろのろ運をしてくれる
憚りの関 其の3
               
  柴田外記夫妻の墓 船岡城志保山の東にある大光寺にある 戒名 実相院穎峰智脱居士 本名は柴田朝意と聞きなれない
右 伊東七十郎重孝辞世の碑 原田甲斐や兵部・外記等の知名度はないが伊達兵部宗勝の仙台藩乗っ取り計画を認識した伊東はその誅殺を図るも失敗斬首されたが後に仙台藩の陰謀が明らかになり兵部・甲斐一派が滅ぼされる及び伊東重孝の忠臣が認められお家復活がなされた
 
伊藤七十郎重孝 辞世の歌 
人心これ危 道心これ微かなり これ精これ一まことその中をとる 古語にいう身をば危すべし志をば奪うべからず 又云殺べくして恥かしめべからず 又云内に省てやましべからず 是予が志なり 食を断ツ丗三日目ニ之ヲ書ナリ
彼こそ寛文事件の発端を切った人物かもしれない