旧奥州街道の往時韮神山の麓にあった史跡韮神山遺跡群の説明板だが如何にも時の流れを感じます 然しH25年11月に尋ねたらなくなっていた
下左 本物の東街道(奥州街道)である この左側には荒川が流れていてすぐ白石川と合流する 確かに当時は難所だったろう
 この道を田村麻呂・芭蕉を始め数多くの武人・文人の歴史上の人物が下っていったのです 赤錆びた上の写真はこの細道の山側に立っている古い憚りの関の碑 赤い錆びが忘れさられて行く歴史の道の無常を示している
  船岡城址志保山からの憚りの関祉 右側が韮神山  右 右側が芭蕉句碑 元禄3年(1689)旧暦5月4日俳聖芭蕉はこのニラ神山の麓奥州街道憚りの関跡を通りました 弘化3(1849)年大河原町の俳人村井江三が建てたもの     鶯の 笠おとしたる つばきかな
上 左側が実方歌碑 平安時代韮神山の麓を長徳元年(995)藤原中将実方が左遷同様陸奥守として下るときこの憚りの関を越えたのです 摩耗して文字は読めない
  
やすらわで おもひ立ちにし みちのくの ありけるものを 憚りの関
  現在の国道4号バイパス このあたりに憚りの関はあったのでしょう  左 新しく建設された国道4号バイパス 韮神山の麓を開削したものでそのすぐ左側の小山の麓に憚り関があったようだ  隔世の感とはこのことでしょう    バイパス開削の為に国道脇に集合された憚りの関の石碑群や説明板
        憚りの関 其の2