花島山

陸奥の 花島山に 蔭落ちて 木末に魚の のぼるとぞ身ゆ  奥羽観蹟聞老志

                                            
 古川市北部の小野という地区は古来湖だったと言うのだ。其の入り江の複雑さから千枝(え)の湖(うみ)・大崎沼とも呼ばれていたと言うのです。ここは歌枕ではないがきっと内陸の景勝の地だったのでしょう。華島という部落はありますが山があるわけではありません。標高数mの丘に杉の森が点在しているのだ。それを歌の中で花島山といっている。その丘が尽きる所の杉の森の中に延喜式内社表刀(うえとの)神社が鎮座している。775年〜776年(天平神護年間)創建された由緒ある神社です。当時この湖に神社と緑の森の蔭を映す姿は確かに絵になる光景だったと想像出来るのです。ここは今一面の田んぼで其の面影は全くない。江戸時代からここは干拓の苦労があったようである。神社の前の石碑には「・・・寛永時代100ha余りの沼地を干拓した耕地であり沼田と呼ばれる。呼び名の如く沼特有の低湿地帯と未整備水田で農道 用排水は殆どなく幹線的排水路は蛇行著しく常習的貯水池であった・・・・」と彫ってある。つまりここでは今でも田んぼを沼田と呼んでいるのです。神社のたもとにある丸山さん(親切にも郷土史家に電話までしてくれた)と言うお宅の話では「今でも大雨の時は道路まで水が上がり一面湖になりますよ」と言っていた。丸山さん等には恐縮だがそんな時に行けばきっと水面に逆さ富士のような逆さ花島山の蔭が見えるかも知れませんね。尚この2〜3km南東に田尻町小松にはこれまた仙台市にある国宝の神社の本家とも云うべき大崎八幡神社がある。元々はあの田村麻呂が延暦21年(802年)胆沢城建設に際し鬼門である東北の方向に九州宇佐八幡宮を勧進し鎮守府八幡宮と称したのが始まりで、その後大崎氏がその祖先である源の頼義・義家・頼朝も崇敬した鎮守府八幡を大永7年領内のこの地に勧進して大崎八幡神社としたのだ。ここは所謂天平5柵の一ついわれる天平9年(737年)の新田の柵跡とされている重要拠点だったのです。そして大崎氏を追討した伊達氏がこの地に入府すると岩出山町に奉遷され、さらに慶長6年彼が仙台に移ると神社も仙台城下に移り故郷米沢の成島八幡神社を合祀して伊達藩の守護神となり、現在は国宝大崎八幡神社として仙台市中に荘厳なる社殿を誇っている。この辺り今は一見何の取り得も無い長閑な田園の地のようだが往時は景勝の地として時代の英雄たちが闊歩した素晴らしい歴史の地なのだ。
(参考 古川市史 鎮守府八幡宮栞) (平成15年12月1日 

 宗家大崎八幡神社  仙台市国宝大崎八幡神社
発祥の地