仙台市内を睥睨する騎馬上の伊達政宗 青葉城址

馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何
曇りなき 心の月を 先きたてて 憂き世の闇を 照らしてぞ行く  
辞世の歌
上 仙台城本丸北面の石垣   政宗遺訓  仁に過ぎれば弱くなる 義に過ぎれば固くなる 礼に過ぎれば諂いとなる 智に過ぎれば嘘をつく 信に過ぎれば損をする 気は長く心穏やかにしてこの世に客に来たと思へば不足なし 朝夕の食事は旨からずとも誉めて喰うべし 元来客の身なれば好き嫌いは申されまい 今日行をおくり子孫兄弟によく挨拶して娑婆の御暇申すべし      

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青葉城址から見下ろす仙台市内 手前が広瀬川
@ 青葉城跡土井晩翠胸像と荒城の月の詩碑  晩翠は本名を林吉と云い明治4年仙台市北鍛冶町の質屋の長男として生まれる 培根小学校→立町小学校→仙台英語学校→旧制第二高等学校→東京帝国大学を卒業して明治33年母校二高の教授として帰仙した 昭和27年現在の晩翠草堂にて81歳の生涯を終える 此の碑は同年晩翠会が建立したものである その間明治31年には不朽の名作 荒城の月 を作詞しその後詩集天地有情を発表する 

脇櫓 大手門隅櫓ともいう 大手門と共に昭和6年には国宝に措定されていたが大手門と共に戦災により焼失したが昭和42年民間の寄付により外観は一部復元された
A 道を挟んで脇櫓の向かいにある史跡仙台城址の碑の後ろに見えるのが伊達政宗とは切っても切れない倉常長の像

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広瀬川 其の2