左 式内社鹿島御子神社
武甕槌命とその子鹿島天足別命を祭神とする ことに鹿島天足別神は香取神宮祖神の御子神と共に命を受けて海路奥州へ下向して東夷の征伐と辺土開拓の経営に当たる事になりその乗船が偶々石巻の沿岸に到着・停泊してその後錨を操作した際に石を巻き上げた所から石巻の語源になったとの言い伝えもある由緒ある神社である 彼等二人は先住蛮族蝦夷の地に最初の足跡を残した大和民族の大先達と言う事になっている
鳥居をくぐると右側に芭蕉句碑がる
  雲折々 人を休める 月見かな

左端 日和山に立つ芭蕉と曾良の像
 奥の細道では『・・・石の巻と云ふ湊に出ス 黄金花咲くと詠みて奉るたる金華山海上に見渡シ 数百の廻船入江につどひ 人家地をあらそひて竈のけふり立つゝけたり』とその賑わいぶりを書いているが金華山は牡鹿半島の東側にあるので石巻からは絶対に見えないはずだ 奥の細道ではこの様な表現が随所に出てくるが是は芭蕉の読者に対する文の構成上意図的に演出している様だ  知らない人は本気にするでしょう 
曾良旅日記には『日和山ト云へ上ル 石ノ巻中不残見ユル 奥ノ海 遠嶋 尾駮ノ牧山 眼前也 真野ノ萱原も少シ見ユル』と述べてるが眼の目にあるのは牧山位で条件次第で遠嶋(牡鹿半島)が見えるかもしれないが奥の海・真野の萱原は絶対見えないのです

石川啄木歌碑
砕けては またかへしくる 大波の 
       ゆくらゆくらに 胸おどる洋

啄木が盛岡中学5年生の明治35年5月28日の修学旅行で石巻を訪れた時詠んだもの 他に公園内には他に宮沢賢治の詩碑や新田次郎・斎藤茂吉・志賀直哉の歌碑等の碑がある
日和山から見た旧北上川河口と石巻港
ここ絶景の日和山は旧北上川左岸にあり標高60・4mの丘陵である 山頂に延喜式内社鹿島御子神社がある 中世には奥州総奉行葛西氏の居城跡とされている 江戸時代この河口は仙台藩の江戸への米の積み出し港として千石船に出入りで賑わったのです ご覧のように日和を見るには絶好の位置からして日和山となったという
 
   上鹿島御子神社
此処からは太平洋が一望できるx絶景の地である

左奥の細道の碑と日和山の案内板
 
  旧北上を挟んで日和山より見る対岸の丘陵が牧山 その麓一帯が尾駮の牧云われるが果たしてどうか 北上川の中に中瀬(なかぜ)と呼ばれる島があり日本最古の木造の旧石巻ハリスト正教会や石の森章太郎漫画館がある

袖の渡り 其の5