左
史蹟入口にある上街道の碑
右
陸奥上街道案内板
下中
国指定史跡陸奥上街道
芭蕉と曽良が通った本物の旧街道である この部分だけが石畳となっている 吾妻鏡には
源頼朝
も奥州征伐の時『黒河を経て玉造郡に向かい葛岡郡に出て松山街道を経て津久毛橋へ至りたまふ』とあり芭蕉と同じみちを逆に通って平泉へ向かった
上右端
1.5kmの国指定上街道の跡には戦前に松根油採取の為に切られた切株が痛々しい
下右端
中ほどに奥の細道の一節が彫られていた石碑
南部道遥かに見やりて岩手の里に泊まる
岩出の里 其の4
天王寺追分
元禄2年5月14日(現6月30日)芭蕉と曽良はこの追分で上街道から羽後街道に折れ小黒崎・美豆の小島へ向かったが雨降りため岩出山に引き返して一泊した
くちなしの 色とぞ見ゆる 陸奥の いわでの里の 山吹の花
夫木和歌集 前中納言匡房