|
朝日山計計仙痲神社
は県道151号脇の参道入り口に立ってる赤い大きな鳥居が印象的です 三大実録には貞観元年正月清和天皇即位の大礼に際し陸奥では計仙痲・紫波彦・拝幣志・零羊崎・紫波姫神社に従四位下に神位が授与だれた記述がある 創祀年代はふめいだが大同年間田村麻呂が戦勝祈願し戦後千束の田を寄進したと社伝はいう
|
上 東久邇宮御登臨之地の碑が山頂にありました
右 桃生城跡
758年(天平宝字2年)牡鹿郡に於ける海道蝦夷に対抗支配する拠点として按察使・鎮守府将軍藤原朝猟によって造営された 後にここを拠点にして桃生郡が分離されるのです 多賀城から凡そ北東35kmにある桃生郡河北町飯野から同河南町小池にかかる通称長者森と言う丘陵地である 760年代に入り桃生城・伊治城等の造営による蝦夷への支配拡大・強化に対し蝦夷も反発を強め770年一度服従していた蝦夷の宇漢米公宇屈波宇等が必ず柵城を襲撃するとのセリフを残して本拠地へ逃亡した その後774年桃生郡の海道蝦夷がここ桃生城を襲撃したのです これ以後陸奥38年戦争の時代に入るのです 発掘跡を見ようとしたが殆ど人跡がなく草が生い茂り暑さも加わって入るのをやめました |
桃生城跡
東西800m南北650m 石巻平野の北部北上川と旧北上川に挟まれた丘陵上に築かれた古代山城(柵)旧北上川の沖積平野を一望できる要地にある
|