上・右 松が浦島の突端 鴻が島 空と海の際もなしが実感できます日本武尊もこの景観に惚れこみ上陸を決断したのかも知れない 湿度が高く金華山 相馬の崎はみえなかった

鼻節神社 花淵浜突端の地垂水にあり猿田彦命を祭神とするこの神社6代孝安天皇(前392年)海の岐神として創建という 日本武尊の約400年も前と言う恐ろしく古いのです 舒明天皇2年(630年)には圭田43束を奉るという記録もある 続日本記には承和11年(844)8月17日の条でそれまで無位の鼻節神社に従5位下が授けられた延喜式明神大社 下はこの神社で発見された印鑑 国府役人の食材仕入れ受け取りの確認印でしょう
 此の岬にある民宿御殿場の加藤と言う70歳のおじいちゃん 御殿崎より御殿場の屋号の方が古いんだ なぜかと言うと正宗は18代 私は27代目だからね と自慢げに話していた 右 延喜式明神大社 鼻節神社 
枕草子212段社(やしろ)には『ふるのやしろ(大和國)・いくたの社(津國)・龍田のやしろ(大和國)・はなふちのやしろ(陸奥國)・みくまりのやしろ(大和國)・すぎの御やしろ(三輪神社・大和國)しるしあらんとおかし ことのまゝの明神(遠江國)いとたのもし さのみきゝけんとやいはれ給うはんと、おもふぞいとをかしき ありどほしの明神 貫之が馬のわずらひけるに、此の明神のやませ給ふとて、歌よみて奉りけんに、やめ給ひけんいとをかし』 とあり真に堂々たるものです             
   
        松が浦島 其の4