左 薬師堂磨崖仏(レプリカ) 七ヶ浜歴史資料館
下左 湊浜薬師堂 下右 薬師堂横穴古墳群 薬師堂裏に10基程ある
沼弁天沼と呼ばれているが17世紀前半までは湊浜から国府多賀城 岩切まで多くの船が往来する河川であった この左1km位に海岸湊浜がある この沼の辺りが日本書紀の日本武尊が上陸した竹水門であるという  然し景行天皇の在位期間が西暦71年〜130年と云う事から考えると坂東・北関東も日高見国と言われた蝦夷の國であった時代を考えるとここ松が浦島は余りにも奥深過ぎると思うのです 竹水門はもっと南にある福島県南相馬市にある高川(現大田川)辺りでそこには多珂神社・城の内(柵の内か)と高と云う地名も残り又宮城県岩沼 茨城県多可の辺りと諸説ある

旧冠川河道跡のたもとにある薬師堂は 通称湊薬師 夜明けの薬師とも云われる宮城郡内にある3薬師の一つ 仁寿2年(852)慈覚大師の作といわれる摩崖仏が凝灰岩に彫られている
 近くには横穴古墳群もあり水運を利用した湊浜の賑わいの証でもある

御殿崎(鴻ヶア) この右にある民宿御殿場の親父さん 50年前までは右の小嶋は陸続きで畑があったが途中くずれて嶋となった  と言っていた 今でも固定資産税とらているのかな と冗談をいっていた
上 孝子権右衛門の碑 御殿崎
松が浜mp親孝行の権右衛門は父仁右衛門が鱶魚(鱶)に襲われ死亡した  権右衛門は敵討ちのため日夜復讐に燃え漁に出て遂にその鱶を釣り上げ御殿崎の地に霊を慰めたという 今権右衛門の子孫は絶えていないがこの碑を建て後世に伝える(説明板)とある
 

左 荒磯稲荷神社

       松が浦島 其の3

      
 
 12年前の御殿崎の鴻ヶア
3・11の東日本大震災で今回の訪問時にはこの風情のよい松は消えていた

1000kmも離れているのに平安時代都の人の憧れの地なのに 情報化社会にもかかわらず現代人は余り知らないのではないだろうか