上流には歌に詠まれた埋木を産し古くから貢物として都へ献上されていた事で名高い名取川は宮城県南部の川である。中流には二口渓谷県立公園や国指定史跡不動の滝 そして名湯名取の御湯を経て下流では有名な広瀬川の支流をむかい入れて閖上で太平洋に注ぐ。 清少納言は枕草子のものずくしで 陸奥の歌枕を数多く取り上げてくれ 知名度アップには多大の貢献をしてくれた事に陸奥に住む我々は感謝すべきである。例えば『川は』の項では13の川を挙げその内 あの有名な大和の飛鳥川の 『ふち瀬さだめなく、はかなからむといとあわれなり』と対等に 『なとり川もいかなる名をとりたるにか、ときかまほし』とあり実に陸奥でただ一つリストアップされた川なのである。このように彼女が陸奥に拘ったのにはあの陸奥守実方と無関係ではないだろう。彼女は彼が好きだったからだ。それは兎も角ここ宮城県内を源流とした川で歌に詠まれているのは 迫川(昔川) 江合川・荒雄川(玉造の江)そしてこの名取川である。外に野田の玉川もあるが細流である。然し詠まれた数において名取川は別格であろう。ところが昭和50年代にあの清純そうな歌手 さとう宗幸氏が歌った『青葉城恋唄』の大ヒットで一躍広瀬川が日本中の注目を浴びるに到り現在その劣勢は免れないのである。広瀬川は100万都市仙台のど真ん中を通る清流だが名取郡衙(郡山)で名取川に合流する、いわば名取川の一支流にすぎないのにである。私としてはこの辺りで是非『清・実方の名取川恋唄』をどなたか発表して 名取川の昔日の栄光を取り戻してもらいたいものです。歌におけるこの名取川は 秘密裏な情事が噂に出る 評判が立つ 表に現れる意味で歌われているのだから。上流には国指定の自然が沢山あり歌材には申し分ない。わずか45kmの川だけど表情は本当に変化に富み豊である。ここでは中流にある栗木橋以下河口までの8っつの橋をメインに載せてみた。(平成14年9月11日)(川の歳時記 北斗出版 文学遺跡辞典 鞄結椏ー出版)
右上下 あんどん松 閖上大橋から新名取川橋の間の土手沿いにある松並木 平均直径75cm以上・高さ25〜30mの見事なクロマツである 江戸時代に閖上浜から仙台城下を結ぶ名取川沿いに仙台藩によって遥か遠州(静岡)より取り寄せて植樹されたものである 地元の漁師が閖上港に帰還の際の目印にしたという 地元の人は男松とか雄松とも呼んでるという 現在55本が残っているが宮城県下ではここ以外にこれほどの松並木は残っていないという(説明板) あんどんの意味は不明
下左 閖上大橋 下右 新名取川橋 仙台東部自動車高速道路の橋 北に上れば三陸自動車道路につながり南へ下れば将来は常磐自動車道となる 現在は亘理までだが26年末までには福島県相馬市まで開通してる既存の常磐道と繋がり東京まで完成する |
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名取川 其の2
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