熊野新宮社拝殿  宮城県指定神社 正面が証誠殿 東を若宮 西を西宮と云いそのそばに老女の宮がある
 右 老女の宮 熊野三社の勧請伝承に関わる名取り老女を祀る老女の宮 拝殿の奥に本殿証誠殿・那智飛龍権現社・十二社権現社がありその西隣にあるが中には入れない

 名取の郷の板碑 これは一部
名取の郷の板碑が家々の祠に『家内の明神』として現在も祭られ屋敷神として崇敬されている その数約130基という 中世の家族的な供養塔 墓所だったかもしれない ここ名取の郷は祈りと供養の念仏に満ちた地だったのです(よみがえる中世) 特に大門山板碑郡は有名で熊野信仰にかかわった人々の墓所であると共に熊野山にかかわった人々の供養塔で1278年〜1380年間の物で宮城県最大の板碑郡であ
  上 源 頼朝腰掛け石   奥州征伐に中央の奥大道を攻め上った頼朝も東街道の熊野新宮者に立ち寄り戦勝祈願をした事だろう ここで一服して腰掛けたと言う石である
 新宮寺文殊堂 新宮社入口にある 熊野信仰が伝わる以前の天台宗滋覚大師の建立とか 天台教学の一切経を伝えるという
左上 熊野山新宮寺 
新宮社近くにある熊野山新宮寺 熊野新宮社とともに熊野新宮を形成していたが明治の神仏分離令で分離された


 新宮寺板碑
 安山岩系の自然石を整形した板碑の中では最大級のものだという 名取市高舘熊野堂寺山地区の中世の板碑 名取熊野山関係で最高位にあった熊野別当の供養塔で熊野新宮社参道西側沿いの神宮寺西方にある(説明板)




      名取熊野三社 其の2