名取那智熊野大社 養老3年(719)閖上浜の漁師が海底から御神体を引き上げたところその光の輝きが高舘山まで届いた事からそこにお社を建て羽黒飛龍神として祀ったという 一方貞観13年(871)漁師が霊験あらたかなる十一万観音が波に揺り上げられているのを見つけたのでそれをこの那智神社に那智観音像として安置したという その後名取老女が熊野三神勧請にあたり紀州那智の分霊を当社に合祀し➡ 名取熊野三社 其の3

 

 


左 那智の滝
紀州那智の滝はご存知紀州熊野那智大社の御神体でしかも133mの落差の日本3大瀑布には勿論比べようはありませんがそれもご愛嬌でしょう


恋ひわびぬ 
音をだに泣かむ 
声たてて いづjこなるらん 音無の里 
拾遺和歌集 詠み人知れず


音無の 
山の下ゆく
ささら波 
あなかま我も 
想ふ心あり 
      伊勢集 伊勢
  古道東街道 ➡ 名取熊野大社と改称したという 名取の閖上浜の名称はこの伝承から名づけられたのです(ウイキペディア)
上中
 音無の川
 心憎いのがこの音無川である 古来紀州本宮社辺りは他に音無の里・音無の滝・音無の山の歌枕の地であるとも云はれている ここまでやるのかと驚く事しきりである。因みに紀州熊野には下記の歌等がある
音無の 川とぞつひに 
流れける 言はで物思ふ 
人の涙は

   拾遺和歌集 清原元輔
恋ひわびて ひとり伏せ屋に
よもすがら 落つる涙や 
音無の滝
 
  詞歌和歌集 俊忠
上 熊野本宮 名取市高舘熊野堂 本宮社石碑と鳥居 高舘山が北で切れ名取川に接するにある 出羽越えの街道にも近い
東街道 本宮社前を通る本物の東街道 左に本宮社の鳥居がある もう少し行けば所謂”名取の橋”でそれを越えれば当時の多賀神社・名取郡山郡役所跡である 郡山遺跡は多賀城以前の国府と言われる 中世奥大道以前の人々は総てこの道をと通ったのだろうか
 そこに立つと実に古代陸奥へのつわもの達の思いが心をかすめるのは私だけだろうか
右 高舘城跡  名取り山(高舘山)の熊野那智大社へ向かう途中にある 安元元年年(1175)に藤原秀衡が築城し文治5年(1185)頼朝の奥州征伐では平泉軍が鎌倉勢を迎え撃蔦目に立て籠もったと云う