上3枚の朽ち果てそう寸前の画像こそ名取熊野老女伝承発祥の証のお社でしょう 総て個人の宅地内の裏にひっそりとある 道を尋ねたお宅で話を伺うと、昔々この名取平野の辺りは豊かな土地柄から熊野詣でが盛んで20〜30人単位で講(あるいは結)を組んでいた 日数と費用の掛かる紀州熊野への旅は個人では困難なのでその無尽で毎年3〜4人づつ交代で熊野詣でに出かけたのだ 平安末期以降は蟻の熊野詣でともいわれ貴族から庶民まで熊野詣でが盛んだった その講元(結元)だった家が今の神社のある家だ と話してくれた 成程お伊勢参りの伊勢講の仕組みと同じなのだ
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