式内社多賀神社 名取市高柳
 名取の郷皇壇ガ原にある多賀神社 仙台市太白区西多賀にも式内社多賀神社がある 西多賀神社国府多賀城往還の道東街道に近いところにあるが東多賀神社も皇壇が原と云う日本武尊東征祈願の地名を残す由緒ある場所にある
  国指定重要文化財 旧洞口家住宅 名取市大曲 下 名取老女の墓  名取市下余田
東北地方の熊野信仰の中心的存在が名取熊野三社である ここ名取で深く熊野権現を信仰していて毎年紀州熊野にお参りしていた巫女が年老いたため保安4年(1123)に紀州の本山よりここ名取の郷に分霊勧請した その後旅の山伏が熊野権現のお告げにより一葉の椥(ナギ)の葉を持って訪れたがその葉には

道遠し 年もいつしか 老ひにけり
         思ひおこ勢よ 我れ茂忘れじ
と記されたあった 老女は感涙にむせび小社を建て毎日熱心に参拝した その徳の噂が次第に広まり人々は熊野三社を建てるようになったという 地元では老女が最初に勧請したのが下余田のこの三社だという(説明板)
 上 左 郡山官衙遺跡 
仙台市郡山2丁目〜6丁目の60haに及ぶ役所・廃寺跡で国府多賀城が置かれる前の7世紀後半から8世紀初頭に陸奥国を治めるために中央政府がによって置かれた地方役所としては最古の遺跡 名取川と広瀬川の合流地点にある郡山遺跡で国府説と郡衙説とあるがいずれにせよ古代陸奥の行政の中心だった事は間違いない 広瀬川が名取川に合流する仙台市と名取市の接点する地点にあるが今や仙台市の住宅地の真ん中(上中画像)にありご覧の様に総てが住宅によって埋め尽くされていて素人が全体を把握するのは困難だ 今でも発掘調査がなされている 
上左 旧洞口家住宅
名取市大曲にある宅地面積1500坪 幅3mの堀といぐね(防風林)に囲まれた舘屋敷と呼ばれた旧家である  宝暦年間(1756〜1763)に建立された旧仙台領内最大の規模を誇る この辺りは集落全体に堀と屋敷林の地割が残り近世農村社会の環濠集落の姿をよく残している 下の皇壇が原にある式内社多賀神社も近くにある(説明板) 25代目の大変きさくで冗談好きの洞口御主人が隣に住んでいて4月上旬の枝垂れ桜の満開の時に再度来なさいと話してくれた
 


名取の郷 其の2


  
  国指定重要文化財 旧中沢家住宅 名取市手倉田
名取市手倉田にあるが元は愛島塩手から移築された 床面積41坪で内部は田の字型の四間取で土間と座敷の間に仕切りがなく開放されている 土間には ほいと柱・嫁かくし柱・うしもち柱の名がつく3本の太く立派な独立柱が立っていて名取り型と云う構造である 18世紀後半の建築(説明板)