抑えの関・池 其の2

左上 抑の池跡 玉造郡詩
『東大崎村清水字三丁目圏一帯地盤にして、斎藤松右衛門外数名の所有せる宅地田畑原野約七段余歩は抑の池の古跡にして荒雄川の流域方向の変遷によりて今は昔の俤をも識察するに由無し』とある
  後藤氏によると後ろの建物が郡詩にある斎藤松右衛門の末裔の家だそうです この辺りに抑の関があったという 案内してくれた後藤吉宏氏
左下 抑えの関跡 玉造郡詩
『東大崎村清水字三丁目抑の池圏に、大内五男外数名の所有せる宅地田畑の地所は、往古のおさへの関遺跡なりと云う 関を置かれし年次定かならざりしも玉造軍団を置かれし時代なるが如く推察せらるる・・・』とある 杉の下遺跡の標柱の後ろのお宅が抑えの池地内一番古い300年超のお宅で➡
上中 荘厳寺跡と天然記念物の大杉 
荘厳寺は大崎氏の祈祷寺として栄えたが伊達氏による大崎氏侵攻による天正の役で焼失した 杉の古木は天然記念物で当時の物とされている この南側麓に杉の下遺跡があり奈良平安時代の遺物が多数出土している
上 川底山龍興院
別段抑の関や抑の池とは関係ないが山号が川底山なのがなんともユーモラスなので載せただけです この寺は岡の中腹にあるのにもかかわらず川底なのだ 度々氾濫した江合川(玉造川)や池とも関係があるかもしれない
大内五男の末裔の方が住んでいるとの事 ササニシキの故郷大崎平野は圃場整備が完璧で目指す跡地は跡形もない