音無の滝
        栗原の郡にてそこにあるもの これは音無の滝にはべり また河は昔河とぞいひ侍る といへば(夫木和歌集)
       都人 聞かぬは無きを 音無の 滝とはなどか いひはじめけむ   能因法師集 能因
       音無の 滝の白糸 こゑはせて もゆる蛍の 涙にやみる        大宮院中納言
        小野山の 上より落つる 滝の名の 音無にのみ 濡るる袖かな  夫木和歌集 西行法師
       いかにして いかによるらむ をの山の 上より落つる 音無の滝    詠み人知らず

陸奥栗原郡一迫町にある歌枕である。一迫町の代表的川は一迫川 長崎川 昔川であるが音無の滝はこの昔川の上流にある。この音無の滝は陸奥よりも紀伊国の熊野本宮 山城国東御院町の方が歌枕としてはずっと有名であろう。熊野本宮付近を音無の里と呼ばれたのでその奥の熊野川の上流を音無の川と言った。そこの急流を音無の滝と云うのだそうだ。
  音無の 河とぞ遂に 流れ出づる いはでもの思う 人の涙は
                  拾遺和歌集 清原元輔
  恋ひわびぬ ねをだになかむ 声立てて 何処なるらむ音無の滝
                      
拾遺和歌集 読み人知らず
山城東御院町の方は来迎院の東方にある小野山の山腹にある滝だそうです。
   恋ひわびて 独りふせやに 夜もすがら 落つる涙や 音無の滝
                      詩歌集 藤原俊忠
   小野山の 上より落つる 滝の名は 音無にのみ 濡るる袖かな
                      夫木和歌集 西行

などがあり、音無の用例はなかなか日本人の心情にフィットしていたようです。いずれも山間の静寂な里、音もせず静かに流れる河でしょう。人里離れていて音信も届かぬ喩えとして用いられたのだろう。そういう所なら日本中至る所で詠まれても不思議ではないのです。
               
一迫町隣の細倉鉱山で有名な鶯沢町に下熊川があるが別名音無川とも呼ばれているし、志田郡三本木町には音無村もある。所で本題のここ栗原郡の音無の滝は昔川上流にあり、上街道から凡そ6kmぐらい上流にあるのです。深山幽谷の地ではなく所謂山懐にある農山村なのだ。能因が詠んだからと言って凄い滝でもなく、それどころか私が跨ぐ事ができる川幅であるのには拍子抜けでした。上流故に水量も田の畦を流れる小川程度で真に平凡なのです。滝とは云え落差はたったの2m位と実にミニチュアなのである。著名な能因の名前との落差とその可愛らしさに思わず感激すること請け合いです。然しこの滝の岩盤の侵食が実にユニークで時計回りに岩の筒の中を落ちる様子は中々見事で『山椒は小粒でピリッと辛い』雰囲気なのです。雑草に覆われていて姿も見えず、地形的に正面からもその瀑布(?)も見る事が困難で、それこそ滝の音しか聞こえないのです。『音はすれど姿は見えず』なのです。水の落ちる音だけが物音ひとつしないそれこそ『静寂の村』にここちよく響くのはまことに音無の滝(?)に相応しい感じがするのです。ここほど意外性のある歌枕は珍しいのではないだろ。
(参考 文学遺跡辞典 東京堂出版 歌枕歌ことば 笠間書院) 平成16年4月26日