云わずと知れた 陸奥一級の歌枕武隈の松です。 時に枯れ 時に野火に焼け 時に名取の橋の橋脚に切り倒されたとか。現在のは7代目だが 近くに8代目も準備されている用意周到さが、古さに似合わずいかにも合理的且つ現代的ではある。岩沼のみならず陸奥のシンボルでもある。
うゑし時 契りやしけん 武隈の 松をふたたび あひみつるかな 後撰和歌集 藤原元良
武隈の 松はこのたび 跡もなし 千歳を経てや 我はきつらん 後拾遺和歌集 能因
枯れにける 松なきあとの 武隈は みきといひても かひなかるべし 山家集 西行
武隈の 松もひともと 枯れにけり 風に傾く 声のさびしさ 後拾遺和歌集 源 重之
人知れず 思へば苦し 武隈の まつとはまたじ まてばすべなし 金塊和歌集 源 実朝
故郷へ 我は帰りぬ 武隈の まつとはたれに つげよかと思ふ 詞花和歌集 橘 為仲
武隈の 松は二木を 都人 いかがととはば みきとこたへん 後拾遺和歌集 橘 季通
武隈の 跡をたずねて ひきううる 松や千歳の 初めなるらん 橘 為仲
いかで猶 わが身にかかへて 武隈の 松ともならん ゆく人のため 拾遺和歌集 藤原能宣
画像左碑: 二木塚(芭蕉句碑) 佐くらより 松は二木を 三月越し
側面には 当社よ里二木の松へ二丁程 とも彫られている
芭蕉は虚白からの餞別の句として 武隈の 松見せ申せ 遅桜 に答えて上の句を詠んだという
画像右碑: 名月塚(謙阿句碑) 桜よ里 松は二夜の 月丹こ楚
芭蕉翁六世 東龍斎 謙阿
武隈の松
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竹駒神社境内 岩沼市稲荷町 |
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