とりつなげ 玉田横野の はなれ駒 つつじが岡に あせみ咲くなり 散木奇歌集 源 俊頼(1055〜1129年)

あの藤原俊成 藤原定家という偉大な歌人に影響を与えた平安末期の和歌史上の注目される歌人源俊頼が詠んでくれたお蔭で玉田横野は歌名所に列せられる事になったのだが、彼れは玉田横野を陸奥とも宮城とも云ってはいないのである。河内国とか津の国とかにもあると云うが何れも不詳であるようだ。ただ常に榴岡と玉田横野とは対で読まれていたらしく、ここ宮城野に歌名所榴岡が設定されるとその付近に玉田横野が置かれたと言うのである。場所はと言うと仙台駅北部にある鹿島香取神社付近から南東向け仙台駅東部にある榴岡辺りでその辺りを南東に流れる梅田川以南の現小田原、宮町 福沢町 梅田町 上杉一帯に比定される。歌碑や案内も何処かには立っているのだろうが、榴岡にある歴史民族資料館の学芸員の方に訪ねても不明である。然し芭蕉も元禄二年旧暦5月7日東照宮 玉田横野 榴岡天満 木下薬師堂へと参拝しているので その界隈である事は事実でしょう。面白い事に宮城のHP 歌語り風土記 に福沢町にある福沢神社の歌が載っていてそこに『仙台市玉田横野』と住所が書いてあったのは興味深い。
      雨も降れ 風の吹くをも 厭はねど 今宵一夜は 露無の里    小萩

とあり藤原秀衡家の乳母 石塚小萩が移り住み宮守をしていた時詠んだという。勿論神社境内の案内板にも
載っているのだが その宮司の奥さんに尋ねても玉田横野については全くご存知なかったのは残念至極。捜すには時間を要すようだ。この福沢町界隈は道が細く入り組んでいる下町の様な所だが、上の歌により此の辺り一帯は露無の里と言う風情のある地名を頂いているという。この隣の榴岡・宮城野の里は露だらけの歌で有名な里なのにである。この藤原氏の乳母の小萩なる女性の心境の屈折はやはり平泉藤原氏末期近しの故だろうか?
(平成14年11月17日)(参考 宮城県の地名 平凡社)


露無の里の由来書と由来地の松 仙台東照宮の隣 仙山線東照宮駅の北数百mの地点だ



玉田横野

             
  正一福沢稲荷神社789年創建