玉造の江 其の4

上左藤棚橋からの江合川 上右清水三丁目の堰堤水門の江合川
「江」とは単なる川ではなく川に音符のエの「コウ」を加え大きい川を意味し 流れが内陸にまで下り組んでいて海の入り江の状態をなすという 例えば揚子江が其の典型である 「江」とは何処か? 曾良旅日記では「宮・一栗ノ間、古ヘハ入り江シテ、玉造成ト云。今、田畑成也」とあるが古川市内にある「宮袋 福浦 福沼 渕尻辺りとも言う(古川市史) 此川が蝦夷と大和朝廷の大きな境目であり古代柵城も多くありよって数多くの歌枕を生じたのかもしれない  玉造郡詩には『玉造江は今の江合川にして鬼首山嶽より湧出する淙々たる澗水の敷波は鬼首村の地域を旋転し鬼首川と称して鳴子町尿前の関の放曠に注ぎ大谷川に会流して大河となりなりて玉造川と云い玉造の江と云ひしならむ されど今の江合川流域三十里にわたれる河川の総称して玉造江と謂いしにはあらざるべし 蓋し玉造江と称する雅号は即ち鬼首川大谷川との落合地域の盆地を限りの玉造江なるべし』とある  左の画像の中央が大谷川で左の木の後ろから流れてくる鬼首川との合流地点である ここが郡詩にいう玉造の江である 一節には大河北上川(江)に合流(合)するから江合川になったとか