|
左上 小野小町塚
古川市渋井 渋井川や古川西中学校のそばにある小野小町塚 ご覧のように一面田んぼの真ん中に立つ2本の松がある そこには何の詞書も案内書きもない 晩秋の大崎平野の孤独の松は晩年の小町自身の老衰落魄の姿か 髑髏に薄もありなんと思はれる
左 氷室薬師村上寺
大同2年坂上田村麻呂が蝦夷征伐に対して将兵の安全を祈願して建立したと伝える 小野小町の伝承が残る
右・上中 国指定史跡 名生舘 官衙遺跡
近くにある名生舘官衙遺跡は古代玉造の柵跡とも言われる7世紀末の設置で多賀城以前に朝廷の力がここまで及んでいた証拠である |
|
|
上 清水閘門之碑
次ページの江合川清水三丁目の堰堤水門の脇には水神の碑や各種竣工や復興記念碑が立ち並んでいる その中に清水閘門の碑があった 内容は読み切れないが末尾には内務大臣海軍大将正二位勲一等功二級男爵 西郷従道 篆額 とある 彼は西郷隆盛の弟である 彼と江合川との拘りはなんだったのか?
左 子松神社
小町の墓の碑の200m西にある子松神社 小町を祀るとも言うが定かではない 宮司さんは延喜式内社と云うが玉造三座は温泉神社 温泉石神社 荒雄川神社が定説 子松・小町も似ているが東北弁のズーズー弁でコマチがコマツに訛ったのではないかと宮司さんに尋ねたがそんなことはないとの事でした 延喜式内社となっているが玉造延喜式三社とは荒尾川神社・温泉神社・温泉石神社が定説なのだが
|