都のつと 宗久  その日く暮るるほどに志ほがもの浦に着きぬ・・・・
有明の 月とともにや 塩がまの 浦漕ぐ舟も 遠ざかるらん

千賀の浦 塩釜港
塩竃の うらみの煙 たちいでて こころぼそきは 旅のそらかな 風情集
塩竃の 浦こぐ舟の 音よりも きみをうらみの 声ぞまされる
 伊勢集
みし人の 煙になりし ゆふべより なもむつまじき 塩釜の浦 紫式部
塩竃の 浦なれぬらん あまもかく わがごとからき 物は思は 和泉式部
  霧さむき 籬の島の 冬枯れに 
    浪の花もや 色かはるらん
          土御門集 土御門院

左端 明けぬとや 釣りする舟も 出ぬらん
      月に掉さす しほがまのうら
       新拾遺和歌集 藤原隆信集
 立わたる 春の霞も わかれぬは 
     けぶりになるる しほがまの浦
     玄玉和歌集 太宰台大弐重家
このような碑が百人一首街道の歩道両脇に100基ある 歌枕愛好家垂涎の地
  
千賀の浦 其の7
      

塩竃の 浦に波たち さよふけて 
 わがみのうへと 思ひし物を    能因
 
伊達政宗開削の貞山堀
1661年~1673年にかけて塩竃湾から仙台蒲生に七ヶ浜半島の付け根を断ち切り舟入り堀がつくられて海産物の鮮度と流通の便を図った 現在貞山堀として利用されている
 この運河貞山堀は岩沼の阿武隈川河口まで延々と続く日本一長い運河である