白石市福岡蔵本愛宕山
 田村清顕の墓
ご存知伊達政宗の正室は福島県三春潘田村家29代清顕の娘愛姫である 30代宗顕のとき天正18年に秀吉によって所領を没収されたため愛姫の命乞いにより31代定広等とともにここ片倉重長の白石に身を寄せたのです
 宗顕はここに父清顕の墓を建て田村家の墓所としたのです 
 田村権十郎改片倉金兵ェ定広室 真田幸村女阿菖蒲様御j墓 
寛永十二年 二代片倉重長公後室娘 卒去七月廿九日 真田幸村の娘阿菖蒲の墓で田村(片倉)定広の正室となる
  田村宗顕長子権十郎 延宝三年三月五日 牛溢改片倉金ェ定広之墓 政宗公乳母喜多子様苗跡相続ス 真田幸村の娘を正室とした田村定広(後に片倉金兵ェ定広)の墓 
 二代片倉小十郎重長後室父 元和元年五月七日 真田左衛門佐源幸村墓 田村金兵ェ室父 勿論墓ではなく供養塔でしょうが表面には何も刻まれてはいない無名の自然石だ  地味だが白石市は中々歴史のある面白い街なのです
   不忘山 其の7