阿古耶松の碑 
右に立っている歌碑には
陸奥の 阿古耶の松に 木がくれて 出ずべき月の 出でやらぬかな
    と彫られている 
 
実方中将の廟と彫ってある
 
阿古耶姫 中将姫の廟と彫ってある
  上左  阿古耶の松
明治天皇お手植えの阿古耶の松 
平安朝以来の伝承にも拘わらず余りにも貧弱なのにはびっくり

 皇居遥拝所と皇居の方角を現した石版
時代を感じました


左 勅撰2代目阿古耶の松の碑
阿古屋の松の隣に建っている その隣の足元に皇居遥拝所との碑が立っている 如何にも時代を感じさせる石碑でおまけに皇居の方角を示す石版も置いてある   ただこの松あまり精気が見られないのがほほえましい 姫に精を抜かれた様に  

        阿古耶の松 其の3
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阿古耶姫 藤原中将実方 そして噂の中将姫の廟
 清少納言は彼の死後 やきもち焼の藤原行成や時の権力者藤原道長の嫌がらせにあい都のはずれに庵を結び零落して住んでいたが後に羽州の落ち延び逃れたと言う説もある