上 月山山頂(1984m)への参道 生憎の濃いガスの為残念ながら景色は見えない
月山山麓の梺の黒川地区にある春日神社は852年(任寿3年)文徳天皇の御世に藤原常嗣(最後の遣唐使)の館近くに建てられたのが始まりと言う然し藤原氏の氏神である春日神社よりも神社へ奉納する神事能・所謂黒川能が里の農民・氏子等の手によって延々500年の長きにわたり引き継がれてきた農民芸能が➡ |
➡ 昭和51年5月4日国の重要無形民俗文化財に指定された事で一躍有名なったのです 観阿弥・世阿弥の大成した猿楽能の流れを汲み現在の五流(観世・宝生・金春・金剛・喜多)の同系ながらいずれの流儀・流派にも属さず独自の伝承を続け演式・演目に古式を残してるのです 村全体が上座と下座の二つの宮座に分かれて総て農民の手によって生活の中で伝えられた能を舞う集団を形成してるらしい つまり氏子農民が能役者なのである この強固な祭祀と能の組織によってこの里は例外的に過疎化を免れた珍らしい村なのです 神社を中心とした宮座と能太夫を中心とした能座の二重の封建的・世襲的束縛が皮肉にもこの村の過疎化を防いだのです 厳寒の2月1日~2日が黒川能・王祇祭である(別名豆腐祭とも呼ばれ一晩で13000~14000本の田楽を食べると言う) |
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月山の梺羽黒町西荒川にある金澤山荒川寺がある 何とここが庄内おばこの菩提寺なのである 私は庄内おばこは秋田県で言う秋田小町と並び若く色白の美しい女性の代名詞と思っていた おばこはチャーミング 小町は気品の違いはあるが 小野の小町は平安時陸奥守小野篁の高貴な方の娘だが 実在のおばこと言う娘は今から凡そ160年前ここ荒川に住んでいた八兵エと云う百姓の娘であるが稀に見る清楚な美人だった云う(荒川寺の資料によると 雪国の女にありがちな抜けるような白い肌 瓜実顔に富士額 黒々と耀くつぶらな瞳 雨に濡れたけしの花びらのような唇の可憐さ まるで山に咲く百合の精がゆらぎ出たかと思われる程の・・・とベタ誉めである) その後の悲しい運命は荒川寺の庄内おばこ縁起に詳しく記載されている民謡庄内おばこ節の一節には➡ |
おばこのご位牌
➡♪おばこいたかやと 裏のこんまど(小窓)から
のぞいてみたバ コバエテコバエテ
おばこいもせで 用のない婆さまなんど
糸車 コバエテコバエテ♪
このコバエテの意味はご住職さんの話では『来て欲しい・来てくれたらいいナ』と言う意味だそうです |