霞城内にある最上義光公勇戦の碑
上杉直江兼続を迎え撃つため長谷堂城へ出陣・進撃する英姿 鉄の指揮棒には 清和天皇末葉 山形出羽守有髪僧義光 と掘られている
 
文翔館  正式名称山形県郷土館
国指定重要文化財2代目旧山形県会議事堂の愛称
イギリスルネッサンス様式の煉瓦造り
 重要文化財でありながら会議室2室・ギャラリー8室・ホールの貸館も行っているとのこと
   国重要文化財旧済生会病院三層楼 山形市霞城町
明治9年山形県令となった三島通庸は文明開化の象徴として県立病院の新築を計画し明治11年9月この病院を完成させた 三島県令は時の太政大臣三条実美公に命名をお願いしたのです 公は済生館と揮毫したのです 済生とは『人の命を助ける』と言う意味です その後ドイツ人医師アルフレド・ローレンツの指導のもと済生館はドイツ医学のメッカとなった 給料は三島県令の3倍 病院長の6倍もあった 一時民間の病院となりその後山形市立病院済生館となり今は山形市市郷土館となっている  楼閣のベランダや3階部分は実用性皆無だがより高い建築にして西洋風に見せ当時山形一の高さ25mだった 明治時代の擬洋風建築では長野県松本市の開智小学校と双璧をなす傑作と云う 山形の宮大工職人集団300人がわずか7か月で仕上げた(参考 朝日新聞 H26.1.18みちのく遺産より) 
 

 鳥海月山両所神社 山形市宮町
鳥海山大物忌神社の倉稲魂命と月山の出羽三山神社の月夜見命を祀る其の遥拝所だった 両神社の勧請という

縁起によれば康平6年(1063)源頼義が俘囚長安倍貞任の征伐・戦勝にこの両所宮を建立し国家泰平・武門吉事の宮とした北の総鎮守として尊崇された
 
文翔館
英国ルネサンス様式の大正5年建築
国指定重要文化財2代目旧山形県庁舎 外壁は山形県産の花崗岩を使用県会議事堂とは雰囲気が異なる

はずかし(恥川) 其の4
 

国指定史跡嶋遺跡 山形市嶋北3丁目
多数発掘された貴重な出土品は古墳文化期の農村集落跡とみられ108本の打ち込み柱や高床式の倉庫ともみられ共に学術的価値が極めて高い遺跡である