相扶共済の碑
 国道47号線の戸沢村古口から県道57号線を南え分岐して角川に行くその入り口にある古口館の案内板に『陸路板敷山越え入り口』とありこの辺りから敷いた板を立てにしてような峠越えの道があったのだろうが捜しても見つからず近所の人に尋ねてもどうもはっきりしなかった 後日にチャレンジ
 ここ出羽山脈のど真ん中にあり古口から7〜8km南へ下る角川(つのかわ)村国民健康保険発祥の地である 平成の大合併で戸沢村となったが合併しても町にもなれない依然として田舎なのである 御覧のように道路は立派だが人も車も見当たらないところなのです 地元の方に国保発祥の理由尋ねたら一言『日本一貧乏だったからだよ』との事 近代国民皆保険制度は山形出羽山中の極貧の村が発祥の地なのです 板敷山より凡そ直線にして10km程東南東にあるが肝腎の山はここからは見えない
相扶共済の碑 当時の角川村は交通の便に恵まれず安住する医者もい無い さらに昭和初期の恐慌と農産物価格の暴落により角川村の生活苦はピ−クにあった 村人は病気になっても交通の便も無く家計の貧困のため医者に診て貰う事が出来ない現実に陥ったのです この窮地を脱するため国・県の指導のもと『村立診療所』を設立するため村人を組合員とする保険組合の結成を計画し並々ならぬ苦労努力の結果として昭和11年4月に発足した 国が国民健康保険法を発足したのは昭和13年である 国よりも2年も早いのです



国保発祥の地記念碑