右 芋煮会発祥の地 鍋掛の松
 『上り下りは鍋掛け松よ 市蔵酒屋に最上が川』と歌われた ここ中山町長崎の船着場は船頭・商人の積荷の上げ下ろしの合間に始まったのが芋煮の始めと言う





 山形名物の芋煮会の発祥の地碑
東村山郡中山町名がs期
『舟運栄えたる最上川河畔樹齢三百の松影と芋煮の宴を偲ぶ月山蔵王の秀峰正に雄大成なり』 と彫られている つまりここ中山町はなのです

枡形渡船場跡 山形市
 国道112号線が須川に架かる船町橋から見た渡船場付近 昔は枡形といわれたが昔の面影はない 寺津河岸とはライバル意識があり度々訴訟事件がっとと言う 
 左上下
史跡寺津船着場案内板と旧河岸跡の三日月湖
上山の奥地から流れ山形市内を通り天童市で最上川と合流する須川 現国道112号船町橋の辺りに渡船場があった 最上義光の町山形の船着場でありいわば山形市の表玄関として大石田・清水と共に最上川三大河岸として大いに賑わった所です

 最上川 
其の6



 岩子沢川この細流のたもとに下の碑があります 最上川本流はこの数百m下流にあります
 最上川長崎船着場跡の碑 東村山郡中山町字長崎
 最上川舟運が置賜荒砥まで伸びるまではここ長崎船着き場が終点だった 風待ち・荷待ちの船頭・人足達がその間に海の乾燥棒鱈と地元の里芋を煮込んで食べたのが芋煮の始まりという
   
須川船町河岸から下流4km 最上川との合流点に有るのが寺津河岸である この三日月湖は旧最上川を直線に開削した時に取り残された跡地である 天童は勿論山寺立石寺・関山峠を越えて最大の消費地仙台への物資の補給地として大いに栄え幕府公認の河岸となり一時は最上川全体の45%もの舟を保有していたと言う