本楯河岸の跡  寒河江市本楯
本楯城の東方にある本楯河岸跡の碑 最上川本流はずっとこの東方1kmにあるがやはり右下を流れる細流が往時の河岸跡なのだろうか
 
上 左下の松の根元の市神の由来 河北町荒町
寒河江本楯河岸の北を流れる寒河江川を越えると河北町である ここにも最上川舟運の重要な船着場・谷地河岸がったのです 市場の神が町内八基もあるそうで舟運による市の賑わいが偲ばれる
 現在の最上川はこの舟繋松の東方1kmにあるが近くには細流も流れていて往時の船着場を忍ばせます
 漆川古戦場の碑    西村山郡大江町本郷丙
1368年名門南朝大江氏(寒河江氏)北朝斯波氏兼頼に敗れた有名な古戦場の碑 碑文は南朝を官軍・足利軍斯波軍を賊軍と戦前の皇国史観で彫られてる 

紅花大尽堀込四郎兵衛家  西村山郡河北町谷地 
最上紅花と米を谷地河岸を利用して上方へ運び帰りには京文化をこの出羽の山奥にもたらした豪邸で敷地面積2600坪を誇る 往時は200名の農兵をんも擁したと言う 現在は紅花資料館となってる 紅花の古名は末摘花である 
外にのみ 見つつ恋せむ 紅の 末摘花の 色に出ずとも 万葉集巻10-1993   ここから送られた紅花は最上川を下り京の紅屋の手で紅餅から真っ赤な紅が作られ都女の口紅となり着物の鮮やかな色彩を織りなしたのです

本楯城跡   寒河江市本楯1丁目
鎌倉幕府政所別当大江広元
がその功により頼朝より与えられた所領の寒河江は当初妻の実家多田仁綱を目代として最初に居住した館跡である 本確的寒河江城は大江親広により現在の町の中心地にある 澄江寺・法泉寺・陽春院・福泉寺・徳蔵院・本願寺・長末寺等には歴代の大江氏の墓があり其の歴史を知るのには格好の地だ ここは最上川の河岸段丘を利用して築かれた城である

最上川舟繋ぎの松と祠  河北町荒町北
樹齢400年超の松で北側に渋川が流れ最上川に注いでいる ここ谷地から塩や味噌を小船に積み最上川えと船出したという 

左の古跡舟繋松の由来書き
昔最上川本流の入り江・・・船着き場道海と共に船の往来・・・などの文字が見える
最上川 其の7
       

月山鍛治顕彰の碑 
谷地八幡神社西村山郡河北町谷地
月山鍛治は鎌倉初期鬼王丸を祖とし霊峰月山周辺や河北・寒河江一帯で繁昌し陸奥一関の舞草鍛治と並ぶ出羽の名刀発祥の地である その特徴である綾杉型文様は常陸・越・薩摩にまで影響を与えたという   神社は後三年の役で源義家が勧請し白鳥十郎長久により遷座した  

白鳥十郎長久の墓 谷地八幡神社境内
谷地河岸や市場の開設など谷地の発展に尽くしたが最上義光によって謀殺された悲劇の城主 東林寺 実は最上紅花は彼が名馬を織田信長に送ったお返しに彼から送られたものであると司馬遼太郎氏は街道を行くの羽州街道で書いている