よしやそも 名こそ深山の 奥なれや 花にはもれぬ 雲の上かな              藤原 実方
四方の海 波静かなる しるしにや 己と浮きて めくる嶋かな                 藤原 実方
いのりつつ 猶こそ頼め 陸奥に 沈めたまふな 浮嶋の神                為仲集 橘 為仲
うき島の 花見るほどは 陸奥に しづめることも 忘られにけり             為仲集 橘 為仲
ひと夜とは いのらざりしを かひもなく 心さだめぬ 浮島の神             顕輔集 藤原 顕輔
   大沼の浮島

    
 山形以外の殆どの方には余り聞きなれぬ歌枕でしょう。山形県西村山郡朝日町と言う所にある。ここは多賀城の観念的浮島と違い正真正銘の浮島なのです。山形市より北西凡そ50km位で日本100名山の一つ朝日岳(1870m)の東の裾野の山中にある。最上川と平行して走る国道287号を西に折れ県道112号線を6〜7kmの細い道を行くと浮島稲荷神社に出会う。其の後ろに30.600平方mの浮島沼がある。今でこそマイナーな歌枕の地だが、内務省から国の名勝(国指定記念物)に指定されたのはなんと大正14年10月8日と恐ろしく古いのだ。それもそのはず発見は680年(白鳳9年)天武天皇の御世、山伏修験道の祖役行者小角とされ、神社創建は其の弟子覚道が708年(和銅元年)とされれている。その後頼朝の御家人寒河江城主大江広元最上氏の庇護もあり歴代藩主に厚く信仰されたのである。由緒ある藤原一門で関白道長とは又従兄弟にあたる都の美貌の貴公子 陸奥守藤原中将実方がこの山深い浮島沼になんと998年以前に尋ねた来たのを見てもその知名度の古さがわかるだろう。きっと彼は山形千歳山の麓にある歌名所 萬松寺阿古耶の松に尋ね来た時に、ここ大沼の浮島も一緒に探訪したことは十分ありうる事だろう。この沼は周囲770mの沼に大小60以上の島々が浮遊していると云う。然しそれを確かめるには恐らくその場に少なくとも2〜3日じっと眺めている忍耐と根気が必要だろう。嶋の浮遊は特に朝・夕に多いと云う。雪国だから当たり前だが3月〜11月との事である。嶋といっても葦か葭の蕪の塊で私が見たもので30cm〜50cmぐらいのが5個ほど浮いていた。但し浮いていたからと言って動いたのを見たわけではない。残りは岸辺にあるので陸なのか嶋なのかはっきりしないが恐らく浮き草としての葦・葭の塊に違いない。千歳山萬松禅寺誌によると『・・・・風のまにまに、いきかふ嶋の面白く、数ふともなく数ふれば、大小合わせて六十六嶋あり、風なきも岸を離れ、浪なきも遊泳せる様、此の世のものとも思ほえず、あたかも物ありて嶋をもてあそぶが如し・・・・』と実方の浮島探訪の様子を記している。さらに不思議なのはここに芭蕉塚なるものがあるのです。『しま遊び 夢の行方や 露時雨』と碑には彫ってはあるが芭蕉が此処に寄った証はない。ただ此地方の熱烈な芭蕉の弟子が師匠を慕って碑を建てた と言うのが事情らしい。ここへ来るなら天気の悪い日がいいようだ。小雨 霧雨 霞 霧等の時は一段と趣きがでるそうです。人里遠く 知名度も今いちで訪れる人も少く浮島神社とともに落ち着いた雰囲気が楽しめます。新緑と紅葉の時期がベストかもしれない。(平成15年9月11日)(日本の名勝 講談社 名勝大沼の浮島 朝日町エコミュージアム研究会) 
鵲橋と浮島