加藤清正公の墓石  鶴岡市丸岡字町の内
有名な虎退治に因み槍の穂先の形なのも面白い真正銘の熊本産の島崎石である 九州から山形へ サラリーマンの身に覚えある左遷か・・・

清正閣 加藤家縁の天澤寺境内 鶴岡市丸岡町の内
丸岡城跡地の清正閣の清正公遺骨探索ではこの閣の下2mから清正公の鎧1領と五輪塔からは 正保4年12月3日 清地院居士敬白 と記された九州肥前焼弓野焼が出土した 中に人骨の一部が付着していた
  慶長16年(1611)亡くなった清正公の後僅か10歳の忠廣公が継いだ 然し突然徳川幕府からの➡

国指定名勝地金峰山中の宮  鶴岡市青龍寺字金峰
山頂には国指定重要文化財金峰神社青龍寺本殿があるが熊出没注意の看板があり残念ながら登らずここで引き返す
➡ いわれなき罪状により寛永9年(1632)肥後54万石の領地を没収され庄内藩酒井氏お預けの身となったのです 徳川幕府成立に重要な活躍をしたが元豊臣家の重臣であった福島正則等と共に幕府の外様大名の粛清に逢ったものと思われる 忠廣公が密かに清正公の遺骨運んだというのだ

金峰山藤沢周平作品『臍曲がり新左』では伊波山として描かれている
下 アカデミー受賞ノミネート作品『たそがれ清兵衛』の撮影地の伊豆佐賣神社入口にある撮影参加者の写真
 袖の浦 其の3




加藤清正の上の墓石の覆堂
面白いね 歴史は・・・
 
藤沢周平生誕の地 鶴岡市高坂地内
鶴岡金峰山の麓にある庄内海坂藩で人気時代劇作家
喜式内社伊豆賣神社 鶴岡市湯田川字岩清水
白雉元年(650)創建と伝え三代実録や延喜式神名帳に記載される格式の高い神社 湯田川温泉にある 道を尋ねた神社向いの魚屋の女将さんは『藤沢周平さんは隣の藤沢部落から嫁さんもらったから藤沢と言うのかナ』 と話していた なるほど納得!

 寅さんの山田洋二監督最初の時代劇 『たそがれ清兵衛』は誰かを大切に思う心 目立つことの無い本当の勇気と誇りなど現在の日本人に失われた心を描き幕末に生きた名もない貧乏下級武士とその家族の絆を通して本当の幸せとは何かを問う心に沁みる時代劇の名作 真田広之の清兵衛と宮澤りえの萠江が素晴らしい 然し私が気に入ったのはネーミングです 丁度定年退職した我が身に重なった心境のネーミングの作品でした