袖の浦に ただ我やくと しほたれて 舟ながしたる 海人とこそなれ                和泉式部集 和泉式部
忍び音の 涙たたふる 袖の浦に なづまずやどる 秋の夜の月             山家集 西行法師
きぬぎぬに わかるる袖の 浦千鳥 なほ有明は ねど鳴かれける                 夫木和歌集 藤原為家
袖の浦 湊入り江の みをつくし 朽ちずば猶や 浮き名立つらん                  続後選和歌集 祝部成茂
白妙の 袖の浦浪 よるよるは もろこし舟や こぎわたるらん                     夫木和歌集 藤原定家
君恋ふる 涙のかかる 袖の浦 巌なりとも 朽ちぞ知るべき                      拾遺和歌集 詠み人知ら
袖の浦 の 浪ふきかへす 浜風は 空の上まで 涼しかるらむ                         中務集 中務
おのづから 床うちはらう 夜半もなし 恋に朽ちぬる 袖の浦なみ             文保百首
しく涙 別れはいつも から衣 ねれてそかへる 袖の浦波                         健保名所百首
いかでかは かひのありとは 見へつらむ 袖の浦にも よせじと思ふに         公任集 藤原公任
たちかへる 心づくいしの 蘆わけの きしにきされる 袖の浦かな                藤原伊尹
今はたたヾ 恋わすれ貝 たえはてゝ ひかたも知らぬ 袖の浦かな               夫木和歌集 平 時定
うしと思ふ ものからぬるゝ 袖の浦 左り右りに 浪や立つらむ                    新勅撰和歌集 藤原俊成
我が身こそ 心にしみて 袖の浦 ひる時もなく あはれなるかな                       小野小町家集  小野小町
わすれ貝 ひろふとすれど 立ち帰り 又かけそふる 袖の浦かな                           名所百首 季吟
旅ごろも 立ちよる磯の 松かげに すずしくかよふ 袖の浦風                          夫木和歌集 平 宣時
君こふる 涙は海と なりぬれど みるめはからぬ 袖の浦風                           新勅撰和歌集 藤原道徳
夢にだに 見る夜もなくて あくる夜の かへす衣の 袖の浦なみ               新続古今和歌集 源 家長        
   宮野浦(袖の浦)渡船記念碑
飯盛山公園 酒田市飯盛山2丁目


 袖の浦






左端 最上川が袖の浦河口にはいる日没の瞬間
左 
暑き日を 海に入れたり 最上川
 最上川を挟さんで左側が宮野浦(袖の浦・向酒田) 右側が酒田市街地(当酒田) 正面は日本海である 東の堺・西の酒田と呼ばれた自由貿易都市酒田の湊です  酒田湊繁栄の初見は曹洞宗の名僧南英謙宗の玉漱軒記で『西北は即ち逆沱浦、舟船都合の津なり。三翼(大船)を浮かべて十州三嶋の珍貨を致す。乃ち陸海の珍蔵なり』とあるのです   袖の浦は低地の上最上川・京田川の二つの川の河口にありしばしば洪水被害を被った 流路の変化もあり袖の浦は船着場としの条件が次第に悪くなったのです こうして最上川北岸への移転の機運が高まったのです 1492年(明応元年)頃向酒田(宮之浦)は千余軒だが当酒田(今の酒田)は僅か150軒程だったという