国指定重要文化財旧青山本邸 飽海郡遊佐町比子青塚
床や柱は総欅の春慶塗・漆喰壁・神代杉の幅広天井・鴬張りの廊下・端から端まで継ぎ目なしの長押し・黒檀紫檀使用の書院造りの床柱・襖手引きは七宝焼き・欄間の彫刻・絵師が競った襖絵・枯山水の庭等あり
 国指定重要文化財旧青山本邸
 明治大正の薫を受け継ぐ建築様式と貴重な装飾品 貧乏な遊佐町生まれの青山留吉は北海道小樽の鰊漁で財を成し道内有数の漁業家となり故郷に錦を飾ったのです 一時は村税の8割を納めていたという フリンティア精神の持ち主 一見の価値あり


有耶無耶の関 其の4


下左 おばこ節発祥の地の碑
 遊佐町小原田にある帝立寺脇にある ここは大物忌神社上蕨口の数キロ北にある

朧夜や 平都の里の おばこ節
句碑はおばこが居住してい家の道路脇に立っているが秋田訛りか  句碑にある平都は平津のことです
となっている 向に住む榊原さんと言うご年配の方が『子供の頃は句碑のある所に土蔵(板倉)があってそこにおばこが住んでいた』と実に真しやかに秋田弁特有の訛りで話してくれた

庄内おばこ発祥の由来 
文政年間(1818〜1829)のある晩秋の嵐の夜冷たい雨に打たれた旅の商人が疲労して一軒の農家に一夜の宿を乞うた たまたまこの家の「梢」と云う娘がおり板倉に仮の住まいとし親切に看護したのが縁となり愛し合うようになったと云う 旅の商人が訪れるたびに二人は板倉や田んぼの外で逢瀬を楽しんでいたが梢の両親は旅の商人との恋を許さなかた この事を知った村人達は『♪おばこいたかやと裏の小窓から覗いてみればおばこいませで用のない婆さまなど糸車♪』と囃すようになったのが始まりと伝える 梢の生家(三郎兵ヱ)には囲炉裏を切った板倉もあったが戦後の改築で今ない 
(おばこ節発祥の碑の前に立ってる由来板より