安中市指定史跡新島襄旧宅 新島襄の父母の家 明治7年に米国より帰国後日本での活動の最初の拠点の地である の幼名は新島七五三太 これは襄は兄弟6人中5番めだが上全てが女であった 天保14年1月14日今度も女と諦めていた父が男と聞いて「しめた!」と叫んだ事に由来する 『しめ縄』は正式には『注連縄』と記されるが『七五三縄』とも書きます 誕生日の1月14日は未だ注連縄が張られてる日なのでそこから『七五三太』と命名されたと言う
左中 日本最初の私立(民間)図書館便覧舎 この向かいに新島襄夫妻泊まった由緒ある醤油屋有田屋がある(この日も人混みでした)

 波己曾の山 U




 
左上 郷原の妙義道常夜灯(安中市指定重文) この常夜灯は文化5年(1808)地元の碓氷郡郷原村の妙義講の人々が{信州伊奈郡の向山民吉」に作らせた 台石には従六弁の菊の御門建立年月日 妙義講中67名 石工の名 「是より妙義道」と刻まれている  左下 常夜灯の脇にある道祖神 上左 安中教会 新島襄記念会堂 国登録有形文化財 明治11年3月30日新島襄より洗礼を受けた男16名女14名にて安中教会が発足した  
  安中市指定重文安中武家屋敷   安中藩士の一般的居宅の4軒長屋
 旧碓氷郡役所 明治11年郡区町村編成法公布により群馬県内に17の郡が設置され11の郡役所が置かれた この時旧碓氷郡には旧安中宿本陣に郡役所が置かれた