賀茂神社  桐生市南部広沢町
加茂神社の創立不詳ながら社伝によると崇神天皇の御世豊城入命が東国鎮護の為山科国の賀茂神社を勧請したという 延暦15年(796)桓武天皇の時代官社に列せられ陽成天皇の元慶4年(881)正五位下勳2等、醍醐天皇の延喜年間(901)頃式内社となる

上 万葉集巻14-3408歌碑
   式内社賀茂神社境内 


新田山 嶺にはつかなな 吾に寄そり 
     はしなる児らし あやに愛しも

 訳は 新田山の嶺が他の山と接していないように共寝しないが私に心を寄せ皆から離れているあの娘が何とも言えず可愛いよ とある

新田山 Z    
   坂口安吾千日往還の碑と旧書上邸 桐生市本町
太宰や織田等ととに戦後無頼派の一人とされ堕落論・白痴で戦後文学の旗手となった安吾は友人南州潤の世話でここ書上邸に居を構えた 『夜長媛と耳男』を生み人の子の親となり新日本風土記を執筆中取材旅行から戻った直後急逝した 1955年2月17日早朝48歳でなくなった通夜には 小林秀雄・尾崎士郎・石川淳・壇一雄等が駆け付けた(裏面説明より)書上邸は今も花屋として利用されてる
  群馬大学工学部記念館(旧桐生高等染織学校) 国登録有形文化財 
織都桐生に繊維関係の高等教育機関をの願いのもと大正5年に建築された 守衛さん話では話題の花子とアンのロケに使われたそうだ この建物・正面の煉瓦つくりの正門・そして気づかなかったが守衛さんがいた守衛所も登録文化財だそうだ

桐生市天神町
 
 余は偉大なる落伍者になっていつのひか歴史の中によみがえるであろう    桐生市桐生新町重要伝統的建物群保存地区の建物で奥が矢野蔵群郁鄰館 手前が矢野商店かっては酒・味噌・醤油の醸造・倉庫等にりようされていて奥にはさらに十数個の伝統的蔵造りの建物が現在はコンサート・展示、演劇などにに利用されているという 郁鄰とは孔子の『徳孤ならず必ず隣あり』からとったもの