左上下 山上の多重塔 (桐生市新里町) 国重要文化財 総高1.85m三層が一つの石造られてる 各層の四面は朱が塗られ上段から右回りに45文字が刻まれてる 朝廷や衆生等のため小師道輪が法華経を安置異する塔を建てたのです 無間の受苦より救われ安楽を得て彼岸へ往けるように願ったと記されてる 僧道輪に拠り延暦20年(801)7月17日建立 (説明板) 下の石塔はガラス越しに撮ったもの 高崎市にある多胡碑・金沢碑・山上碑の上州三碑に加えて上州四碑とも言われる歴史的貴重な石碑  下 伝俵藤太秀郷供養五輪塔伊勢崎市赤坂今井町宝珠寺  この五輪塔は西暦940年平将門の反乱を平定した俵藤太秀郷の子孫が秀郷供養の為に建立したと伝える      新田乃庄と東山道 太田市天良町
左上下 特別史跡名勝天然記念物及び史跡名勝天然記念物基準史跡岩宿遺跡 日本の旧石器時代遺物発見による考古学発祥の地 それまでは日本の歴史は縄文時代から始まると考えられていたがそれを1万年も遡り根底からひっくり返した岩宿遺跡で日本歴史の黎明期を知る上での貴重な遺跡 
下は発見者 相澤忠洋の像
 新田山 Y






















   旧東山道碑と万葉歌碑  この旧道は新田乃庄別館建設に伴い再現された往昔の東山道であります。続日本紀巻第卅一、光仁天皇の宝亀二年(771)十月廿七日の条 其東山驛路 従上野国新田庄驛 達下野国足利驛 此便道也とある云々 と彫られていて、下記の万葉歌の新田山はこの辺りから詠まれたものだろうと彫られている
新田山 嶺には着くかな 吾によそり はしなる児らし あやに愛しも
白砥ほふ 小新田山の 守る山の うら枯れせなな 常葉にもがな